Scribble at 2026-06-08 16:37:53 Last modified: 2026-06-09 11:45:08
簿記の勉強で誰もが最初に出くわす難関の一つが、勘定科目の仕訳と転記だろう。とりわけ、多くの教科書がこの複式簿記の理解において最も基本的な考え方について不十分な解説しか書いていないという実態には、毎年のように出版される資格試験のテキストや大学の教科書などを眺めていて唖然とさせられる。そして、当サイトでも掲載している論説で解説しているように、会計学や会計史の観点からは殆ど都市伝説の類と言ってよい「バランス・シート」の語源についても、日商簿記のテキストですらいまだに「[...] 貸借対照表は、借方と貸方を対照(バランス)させる表という意味で、バランス・シートともよばれています」(渡部, 片山, 川村『検定簿記講義/3級商業簿記〔2026年度版〕』、中央経済社、2026, p.20) などと説明し続けている。ちなみに、"balance" を左右の平衡という意味に誤解するならまだしも、日本語の訳語としても不適切な「対照(比べること)」などという語を使うのは二重に不見識だと言わざるをえない。もちろん、昔から揶揄されているように会計士や事務員というのは自分がやっていることの意味や妥当性になど関心のないロボットみたいなものとして働けばいいだけだと、簿記について教える方ですら思い込んだり諦めているのかもしれない。だが、中小零細企業の多くが短期間で倒産する原因の一つは、僕は管理会計(経理、つまり簿記を含む)を軽視しているからだと思っているので、教える方が簿記を単なる金勘定と軽視していたり、Excel やなんとか奉行のオペレーションも同然であるかのように舐めているのでは困る。
さて、そういうわけなので、バランス・シートについての論説から相当な月日が経過しているものの、当サイトでは更に経理や簿記についての解説を追加しておきたい。その解説として予定しているのが、この勘定科目にまつわる話だ。まず、典型的な事例を紹介しよう。
(借方)現 金 1,000,000 / (貸方)借入金 1,000,000
同じ金銭でも、現金として捉えれば左に記入し、借入金として捉えれば右に記入するのだが、初学者はどうしても「借りる」と「貸す」という言葉に引きずられるので、どうして借入金なのに「貸方」に記入するのか理解に苦しむわけである。もちろん、「借方」とか「貸方」という表現を放棄して "L" とか "R" と書けば「借りる」とか「貸す」という文字は見なくて済むけれど、しかしどうして同じ金額について左に分類したり右に分類するのかという疑問は残る。そして、勘定科目どうしでも意味合いがずれている場合もあるから、これは合理的で体系的な説明を要する。しかし、そういう説明を、僕は資格試験のテキストはおろか、経営学部の教科書ですら見たことがないのである。果たして、彼らプロパーは本当に筋のとおった説明ができるのだろうか。つまり、本当に理解しているのかと疑わざるを得ない。彼ら自身が何にも考えずに習慣だけで左右に分類して転記しているとすれば、それは自分たちの習慣を説明しているにすぎず、そんなものは学問でもなんでもないわけである。
まず最初に重要な着眼点は、左右が同じ金銭(1,000,000円)について異なる捉え方をしているのだということを理解しなくてはいけないし、それを最初に教えなくてはいけない。そして、左右で同時に複数の見方でとらえた金銭を記載するということを強調して、左右を単独に扱うことを止めて、あくまでも左右をセットにして考えるように促すことが望ましい。そして、これが複式簿記(double-entry bookkeeping)というシステムの核心だ。「借方」と「貸方」を、それぞれ単独の独立した意味をもつ項目だと捉えてしまうと、「資産が増えたから左」「負債が増えたから右」とバラバラに暗記することとなり、言葉の意味と矛盾したときに混乱が生じる。左右を切り離さず、一つの取引(お金の動き)を、原因と結果という二つの異なる側面から同時に見ているのだと捉えることで、複式簿記の仕組みは非常にすっきりと納得がいくようになる。
銀行から100万円を借りたという一つの出来事に対して、二つの見方ができる。
・事実(結果)としての側面:いまある、手に入った現金である(資産の増加)
・理由(原因)としての側面:後で、返さなければならない借入金である(負債の増加)
これを左右に同時に並べることで、手元にある100万円は、借金として引っ張ってきた100万円でもあるという、お金の現在の状態と由来とがセットとして完結する。左右を同時に見るからこそ、「なぜ借りたのに右に書くのか」という疑問も、右側は調達源泉(理由)を表すポジションだからだと自然に納得ができるようになるのだ。そして、この左右の位置関係は、貸借対照表の構造と一致する。厳密な言い方ではないが、勘定科目の記録というのは、期末の時点における財務状況を表すバランス・シートを毎日更新しているようなものなのだ。
[追記:2026-06-09] ただし、会計史の議論としてはともかく、規範的な議論(事実として由来や過去がどうだったかではなく、本来はどうあるべきなのかという議論)としては、現代の貸借対照表を均衡として理解し、つまりはニックリッシュやペイトンといった研究者の「貸借対照表等式説」とか「持分説」と呼ばれる見解にしたがって解説している場合もあるので、"balance" の説明としては間違いでも、等式として説明すること自体は間違いとは言えないだろう。