Scribble at 2026-09-25 07:46:25 Last modified: 2026-09-26 06:19:50
あいかわらず、寝る前の暇潰しとしてアニメを観ている。ここ最近は、『ヘルモード ~やり込み好きのゲーマーは廃設定の異世界で無双する~』と『追放された転生重騎士はゲーム知識で無双する』とを、それぞれ3話ずつ観ていたのだが、どちらもリタイアである。
まず、『ヘルモード ~やり込み好きのゲーマーは廃設定の異世界で無双する~』はゲームの設定が生活感や世界観に違和感なくハマっていない。いかにも設定を付け加えただけという典型的なご都合主義で、どうにも登場キャラだけでなく、中身の人物ですら作り物の人格だとしか思えないので、没入感が全くないからだ。そのくせ、『無職転生』のように中身の人物は客観的に物事を見たり判断しているかのような態度をとっているのが、逆に人柄としての浅薄さを助長している。まだ『無職転生』のようにエロに走らないだけマシというていどの話であり、たぶん原作者ですら、中身が四十代だろうと現実にも四十代の大半の連中は未熟なのだということが分かっていない。あと、ゲーム・システムっぽい解説のモノローグが多いのも、没入感を損なう大きな元凶だし、石を木に向かって投げ続けるのが「廃ゲーマ」だという理解も、基本的にゲーム・プレイヤーの理解として底が浅いという印象を受ける。原作者は、本当にゲームを「廃ゲーマ」と言われるくらいプレイしたことがあるのかな。それから、作画の柔らかいテイストがギャップになっていることを評価する向きもあるようだし、もちろん現実の MMORPG でも CG がポップだったりちびキャラなのにシステムがエグいというのはあるが、この作品に限って言えば単なるミスマッチにしか思えない。
次の『追放された転生重騎士はゲーム知識で無双する』も、同じくゲームの世界に転生したという前提だ。そして、『ヘルモード ~やり込み好きのゲーマーは廃設定の異世界で無双する~』とは違って、こちらは作画に相当なコストをかけていて、街中や背景のゲーム・グラフィックス的な描き込みは大変に緻密だ。でも、MMORPG のように僕ら自身が動き回れるわけでもなし、観ているだけの背景であれば、実はそれほど大したことはない。現実のゲームでもこのていどの緻密なグラフィックスは経験しているから、すぐに慣れてしまうのだ。すると、緻密な描写には着目しなくなって、それがどう映し出されているかという、もっと筋書きに関係のある本質的なところにみんな着目し始める。すると・・・やはりどうしても多くの人が言うように、CG にコストを使い過ぎているからか、同じシーンの使い回しがやたらと多くて、第二話の時点ですらウンザリさせられるようになる。上空から外壁に沿ってカメラが移動し、地上の街中の風景に入って行く・・・このシーンが繰り返される。しかも、どれほど緻密に描かれている CG であろうとしょせんは同じシーンなので、観ている側にとっては単なる時間稼ぎの記号表現でしかなくなる。また、街中にカメラが移動した後に街を行き交う人々を映し出す様子も、歩いている人々のポーズや話している内容も、何パターンかの使い回しであることがすぐに分かる。いや、それどころか主人公らの描写ですら使い回しであろうという疑いの目で見始めるから、これまたストーリーへの没入感が著しく失われてしまう。あと、「前回のエピソード」だとか、番組途中のアイキャッチ後に続く描写に、やたらと同じシーンが繰り返されるし、そもそも尺として長いので、まるで民放のバラエティ番組を観ているような感覚になる。時間が5分ほど巻き戻ったかのような印象が、わずか20分ていどの放映時間のあいだに何度も繰り返されるので、実質的に新しく観ている(つまりストーリーとして進んでいる)のは15分ぶんていどの長さにしか感じられないのだ。その水増し感も、評価を下げる原因だ。
そして、背景や室内を描く CG とは対照的にフラットなテイストで描かれた人物らのキャラ・デザインにも、良し悪しの問題だとはいえ、僕にはやや違和感がある。たとえば、髪の毛が細かく描かれすぎていて、僕にはまるでステップ数の設定が大きすぎる生成 AI で作ったイラストのような印象を受ける。それに、些細なことでも過剰にリアクションしたり、何かアクションする前にあらかじめ無駄に喋るとか、あるいは動きが遅い重騎士でありながら、戦闘時においてすら、いちいち心の中で独白しながら立ち回りを決めるなんて無駄なことをする。これは『ヘルモード ~やり込み好きのゲーマーは廃設定の異世界で無双する~』にも言えることだが、ゲームの知識があってプレイヤー・スキルもあるような人間が、そんないちいち推論なんて口にしながら戦闘するわけがないのだ。PS があるというのは、要するに魔術師で言うところの「無詠唱」のようなものであって、いちいち打撃の目標や自分の動きを考えるなんてコストを払わなくても体が動くような次元の戦い方をすることなのだ。要するに、これらの作品に登場する人物(キャラではなく、中身のこと)は、どちらも PS がない、ゲームに大量の時間を使って遊んできたというだけの、情報はもっているがプレイヤーとしてはヘタレの人間だとしか思えないのである。
それが、どちらも「無双」するなんていうのだから、これがご都合主義でなくてなんなのかというわけだ。観続ける気も失せるというものである。