Scribble at 2026-09-09 11:04:08 Last modified: unmodified
マガジンハウスのページには、画像をブログとかに貼り付けたら訴えるとかなんとか書いたあるんで、ほなしゃーない、さっき読んだ本を iPhone で撮影してから Gemini で補正した画像をアップロードしてあるっちゅうわけや。これで文句ないやろ。
ということで、とある事情で手にした『土曜日の夜』という小説を読んだ。もちろん、それなりに面白かったのだが、たぶん大阪弁が飛び交う中で育っていない人には分からないと思う。だからこそ、この本が第3回の「坊ちゃん文学賞」を受賞した際の選評として帯に並んでいる、椎名誠氏、早坂曉氏、高橋源一郎氏らのコメントが、どれもこれも下らない、つまらない、要するにしょうもない付き合いコメントみたいに見えるのだ。僕は、文学者というものは作品だけでなく、言葉をもってすることの全てに感性を問われるような「語りざま」みたいなものが大切だと思うので、これらのロクでもない、いまなら生成 AI が吐き出したかのように見える定型文のようなコメントにはウンザリさせられる。これに比べて、文学作品としては程度の低いものかもしれないし、会話や情景描写の中で言葉が使われる位置やタイミングなども、たぶん大阪弁で育っていない人には理解が難しいだろうとは思うが(なぜなら、発音している情景が分かるからこそニュアンスも理解できるからだ)、少なくとも本作は大阪で育った人間に届く言葉があると感じた。
でも、「この手のジャンル」は難しいだろうなと思う。昔から、いわば競合がひしめいているからだ。簡単に言えば、在日朝鮮人が民族や文化や言葉や差別を語る文学というのは、もはやありふれていてインパクトがない(もちろん差別がないとか、些末なことがらだと言いたいわけではない)。それに、かつて当サイトでは酷評したことがある柳美里氏のように支離滅裂な設定の描写をする人物の小説が業界の内輪褒めなどで高く評価されるといった風潮、つまり左翼によくある「この人を賞賛していれば『正しさ』や『文化的・政治的寛容』のポジションが維持できる」という、朝日=岩波系列のインチキ文化人どもがよくやる偽のコミットメントなどが、逆に後進の在日外国人の書き手に対する既得権益や参入障壁になっている。