Scribble at 2026-09-11 19:02:13 Last modified: 2026-09-11 19:07:15
いちいちアマゾンにリンクする必要を感じないほど売れてるし読んでいる方も多いだろうから、表紙の画像だけ掲載しておく。こちらの『幻夜』も、さきほど読了したところだ。
末尾に掲載されている黒川博行氏の「解説」でも書かれているように、『幻夜』は『白夜行』の第二部と見做されている。でも僕は、ウェブで多くの感想文に書かれているように、『幻夜』が『白夜行』の続編という関係であるかどうかは明言できないと思っている。黒川氏の解説にある「『白夜行』の第二部」という表現は、あくまでも黒川氏の読み方なり解釈であって、東野氏が抗弁するような類のことでもないと思うからだ。一つの解釈としてそのように読まれて良いというのも、小説の作者としてとりうるスタンスなり見識というものであろう。既に亡くなってしまっているわけなのだし、今となっては直に本人へ問うたり確かめることはできないけれど、そのようにも読めるという作り方をしているからこそ、何十年も経過した現在であろうと「名作」として読まれているのだ。
実際、黒川氏の解説の最終部で、「『幻夜』の続編」という表現を受けて東野氏が受け答えしているからといって、それが必ずしも『白夜行』から続く第三部という意味になるとは限らない。ただし、その「続編」での秋村隆治と秋村(新海)美冬との関係について、東野氏が「そのあたりは考えてる」と発言しているようなので、「続編」の構想は一部でもあるということは推察できる。でも、それを形にしたと思われる作品が発表されたとは思えないので、遺稿に何か作品としてまとめられるような文書があるとしても、その「続編」が出るかどうかは分からないし、黒川氏が続編について「読者が待ってる」と発言していることにも東野氏は納得していない様子がうかがえる。
これらの作品については、もちろん色々な読み方ができる。よくある、「雪穂=偽美冬説」について、僕は幾つかの疑問を持っているし(それを仄めかす表現が『幻夜』にあるのは知っているが、かなり短絡的な解釈に思える)、雪穂と亮司の「共生説」についても登場人物が語っている解釈にすぎず、雪穂が既に人格破綻しているノアール小説(したがって亮司すら道具の一つであった)という可能性もあろうと思う。
ひとまず、僕が自分の読み方についてまとまった文章にするべきかどうかを思案している最中なので、なんとも言い難いところが多いのだけれど、二つだけポイントを挙げておこう。まず、どちらの作品でもよいが、主人公らは何に抵抗したり逆襲したり打ち勝とうとしていたのか。幾つか選択肢はあるし、それらを組み合わせることもできる。「社会」、「制度」、「大人」、「男」などだ。そして第二のポイントとして、両方の作品に、まさしく記号的とか象徴的と言ってもいいような仕方で登場する『風と共に去りぬ』という作品やスカーレット・オハラだが、東野圭吾氏はこの作品やスカーレットをどのような効果を意図して扱っているのか。単なる「サバイバルで生き抜く女性(のストーリー)」といった、陳腐なロール・モデルやストーリーとして持ち出しているとは思えない。寧ろ、何か重要なことをミスリードする(そして、ミスリードされない読み手だけが作品の意図に届く)ために、わざわざ作品にとって何か意味がありますとでも強調するかのように持ち出されているような気がする。