Scribble at 2025-05-22 22:01:21 Last modified: 2025-05-22 22:08:23

MD で書いた話だが、本来はこちらで書いておくべきことでもあるだろうから、少し話題として敷衍しておく。

多くの人は報道機関とか出版社のマッチポンプ的な自己正当化の歴史(そこでは夥しい数の実例があって、出版や報道があってこそ成し遂げられた成果が何度も強調される)に惑わされたり感化されてるんだろうけど、報道とか出版なんて無視しても、人は正しくものを考えたり生きていけるんだよね。そういう出版物とか新聞とかテレビ番組という「商品」がなければ、考えが偏るとか事実誤認するなんてのは、実際のところ自分たちが得ている情報の範囲が「世界」の全てだと思い込んでいる出版人や報道人の思い上がりや思い込みであって、実際には世界中で偉大な業績とか事業を打ち立てた人たちは、テレビや新聞なんて子供の頃から殆ど観てないわけだよ。

たとえば、イーロン・マスク。彼の事業や実績や言動については毀誉褒貶あるわけだけど、巨大な事業を立ち上げて莫大な資産を築いたという事実は動かしようがない。たとえ、あなたが日本の或るギリシア思想研究者と同じくマズローのエピゴーネンであろうと、これを「成功」と straightforwardly に呼ばないのは単なる負け惜しみでしかない。で、彼が日本で発売されている新書を1冊でも読んだかと言えば、そんな事実はまったくないし、これからも彼は日本の新書を1冊も読まないであろう。では、元ライブドア取締役の Perl おじさんとか、あるいは全く見かけなくなったアマチュア仏教評論家が10年くらい前に新書のキャンペーンに参加していた頃の発言を思い出して、新書をたくさん読むことで何かが達成されると期待できるなんていうクズ理屈に具体的な真実味があるのだろうか。もちろん、イーロン・マスクのような大金を手にできなくても、「教養」が身につくなんてことも言われていた。では、そもそも「教養」が何か有効であり、そして「教養」という言葉の意味がはっきりしているとして、新書を大量に、それこそ「編集工学」おじさんのように多読・乱読して、本当に「教養」なるものが身につくのだろうか。で、別に僕らはノベール賞を目指すまでもないし、ごくごく平凡な人物として生きるというだけの慎ましい人生であっても、同じことが言える。新書なんて一冊たりとも読んでなくても、その人に教養がないとか、頭が悪いとか、ましてや人としてどうこうなんて言えるものでは断じてない。

それに、報道機関や出版社が言ってきた自己正当化なんてものは、実は誰も議論したり定義したり検証してはいないわけだよね。それこそ、出版社や報道機関が100年以上にもわたって自分たちの事業を正当化してきた歴史の中で、誰一人として吟味したり検証しようとはしなかった。出版・報道業界の中で誰もやらないどころか、その周りでごちゃごちゃと些末な話を書き殴ったり AV 女優や日雇い労働者や「頭文字の人々」を追いかけ回しているような社会学者ですら、こんな研究をした人間は一人としていない。つまりは、こんなのは明治時代から集団で抱え込んでいる妄想に過ぎないのだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る