Scribble at 2026-04-19 14:33:58 Last modified: 2026-04-20 20:48:21

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辞書の研究をしているわけでもないし、コレクターというわけでもないので、古い辞書は売り払うこととした。そもそも、いわゆる「英英辞典」と呼ばれる辞書を合計で10冊くらい持っているので、メインに使っている何冊かを除けば死蔵しているに等しいから、とりわけ古くなった辞書は処分しないといけない。そこで、Longman の "LDOCE" (Longman Dictionary of Contemporary English) と略称で呼ばれている辞書が三冊あるため、これらを手放すことにしたわけである。

ただし、僕が所持している「3訂新版」は2001年の発行であり、その後に LDOCE は幾つか版を重ねていて、現在の最新版は第6版(2014)だという。なので、この最新版を手に入れるかどうかを思案しているところだ。でも最新版を手にしたところで「古い辞書」という点では同じなのだ。2014年という事実からわかるように、ロングマンは書籍としての辞書は発行せずに、スマートフォン向けのアプリケーションを更新するていどの改訂しかやっておらず、この第6版が書籍としての最終発行になってしまっている可能性が高い。同様に、Oxford の辞書も同じくらいの時期に最新版が出てから長らく改訂されていない。いくら辞書の編纂に手間やコストや時間がかかるとは言っても、10年以上の年数が開くのは、新語の収録や既存の語句の意味が変わったり派生的な意味が加わったりする変化についていけなくなるので困る。しかし、営利組織が売れないものを発行するには、国費や関連団体などの補助があるか、あるいは出版するかどうかを決裁する人物が特定の業者なり団体と癒着している場合だけであろう(ああ、最初の意味でも癒着してる人が大半だったな)。

それに、最新版の LDOCE を手にしたことがある方はご承知のとおり、Oxford の辞書も同じだが、最近の辞書は判型が大きくなっていて、上の写真ではいちばん左に置いた LDOCE の初版と同じ大きさがあるため、扱いづらい。他の大半の日本の辞書とも判型が合わないから置き場所も限られる。というわけで、最新版を手にしてから上の三冊をすべて処分するか、あるいは3訂新版を使い続けるかを判断しなくてはいけないのだろう。なお、そもそも最新版ですら古い LDOCE を使うのは止めるという選択肢もあるにはあるが、僕は最近の辞書で採用されている「幼児化(全カラー化や安易なイラスト解説)」は生理的に受け付けられない。せいぜい3訂新版の二色刷りが限度であり、オール・カラーなんてものは紙面を眺めるときに注意力が削がれるだけだ。そして、もともと「オール・カラーだと子供が喜んだり興味を示す」などというのは、実は殆ど根拠がないのである。少なくとも保育園や小学校に通っていた当時の僕は、そんな子供騙しに興味をそそられた経験などない。絵本じゃあるまいし、なんで言葉を解説する辞書にオール・カラーの図版など必要であろうか、と思ったものだ。色を付けたら客が喜ぶなどというのは思い込みである。

[追記:2026-04-20] 結論として、ロングマンは三冊とも処分することにした。これまで僕の英語学習においては中学時代からおおいに活用させてもらってきたし、大学院を出るまでは唯一の英英辞典であったわけだが、もう「中央」を "centre" と見出しにつけている辞書を使うのもどうかと思う。いまやイギリス人ですらイギリス英語で書いていては修正を求められるような時代だ。もちろん是非の議論はあるとしても、それは申し訳ないが僕の考えることでもなければ、僕が何か持論を得たとしても、それを世の中に公表する意義など小さいし、僕自身の英語の運用に当てはめたところで、その効用は小さい。

ということで、既に手持ちの一冊としてある Merriam-Webster's Advanced Learner's English Dictionary を道具として使い続けることにしたい。これは Merriam-Webster が2017年に出した学習用の辞書であり、アメリカ人で持っている人は殆どいないはずだが、学習用には非常に便利だ。これも最近の辞書と同じく判型が大きくて扱いづらいのが困るけれど、ESL (English as Second Langage) 系の辞書ではトレンドとなっていて、他に選択肢がない。Collins COBUILD という選択肢もあるにはあるが、やや癖がある辞書だし、制作がイギリスの会社である(できればアメリカの会社が制作した「米語」の辞書を使いたい)。

なお、アマゾンなどを見ていると、Merriam-Webster の辞書として Merriam-Webster’s Collegiate Dictionary を推す人がいて、その理由として「アメリカ人が使っている辞書」だからだという。つまり、どの出版社から出ている辞書でろうと "Learner's" というフレーズがあるからには ESL 系の辞書であるから、語義の記述が厳密ではないという。実際、Collegiate Dictionary や、あるいは Oxford の A. S. Hornby が編んだ昔の辞書(ロングマンを手にする前に買ったのだが、中学生にはあまりにも難しくて死蔵させた)などは、語義を記述するための 2,000~3,000 の「基本単語」など設定していない。最近の学習者向けに制作されている辞書ではスタンダードなアプローチになったが、昔の英英辞典は普通に英語で英語を説明していたため、語義を理解するために英和辞典で単語を調べるという手間が(少なくとも中学生には)かかった。そして、Collegiate Dictionary など「本場の辞書」を信奉しているらしき人々は、そういう手間が勉強になると言い続けている。

だが、僕は特に学習段階の人々がそういうことをするのは反対である。第一に、日本以外の国で英語を学んでいる人々の殆どは、そんなことをしていないという事実がある。得てして、最初からそういう強い負荷をかけることが勉強になるという、日本の無能な教育者や親によくある精神論や、「子を谷底へ突き落すライオン」みたいな下らない喩え話などで優秀な人材が育ったという事実はなく、それで育ったというわずかな事例があるとしても、それはただの生存バイアス(そういう愚かな育ち方でも耐えられた、珍しい例外)にすぎない。第二に、それは ELS という英語教育や英語学の専門家の成果を軽視したり無視する愚行であって、ただの非効率な習慣を美化しているだけの認知バイアスである(しかも自分自身がやっていたなら、無自覚な自己正当化も含まれる)。そして第三に、Collegiate Dictionary はアメリカ人が使う辞書だとは言っても、その「アメリカ人」というのは大学を出ていて何らかの専門職に進んでいる一部の人々であって、はっきり言えば「アメリカ人」の7割は Collegiate Dictionary の語義を理解できないていどの語彙しかないと思う。なぜなら、Collegiate Dictionary のような辞書は英検1級の人でも語義が理解できないことがあるとされていて、おおよそ英検1級だと語彙は12,000語くらいとされているが、Collegiate Dictionary はアメリカの大卒以上の教育を受けた人が使うため、標準的なアメリカの大学生がもつとされる語彙、つまり3万語ていどは必要だということになる。つまり、語彙が3万語くらいなければ、辞書の語義を理解するために他の辞書を使うか、循環しない限りは同じ辞書で知らない言葉の語義を調べることになる。たぶん、「アメリカ人」であろうと教育を受けていない大多数の人たちに Collegiate Dictionary を渡したら、同じことになる。ハイソな人々のやることだけを理解すればいいというならともかく、それでアメリカの何を学んだことになると思っているのか。それから、第四に、実際には翻訳家や通訳の人々であっても Collegiate Dictionary がメインの辞書であるという事実はない。寧ろ、彼らは「日本語として表現する」ことが最終の成果なので、国語辞典や英和辞典を多用する。よく「英語で英語を理解する」ことが英語の勉強の理想であるかのようなことを言う人がいるけれど、それは言語学的にはまったくの間違いだ。英語を翻訳せずに理解するという状況は、その単語の意味を脈絡(用法)やニュアンスにおいて理解することであり、それは「英語で」理解することなどではない。それは、アメリカ人が英語を理解することであろうと、日本人が日本語を理解することであろうと、脳で起きているプロセスとしては同じ形式であり、それゆえに「文法」とか「意味」という概念があらゆる言語に成立するのだ。

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