Scribble at 2026-02-08 08:57:26 Last modified: unmodified

教科書の制作においては、とりわけ経済の教科書を翻訳してつくるときは常につきまとうと思うが、単位を替えるべきかどうかという判断が必要になる。いま、アセモグルらの書いた経済学の教科書を読んでいるところなのだが、すべての金額がドルの単位で書かれているため、はっきり言って現実味がない。

そして、これは考えようによっては危険でもある。なぜなら、このアセモグルらの原書が出版されたのは2015年だが、僕らはいま読んでいるときに現在の為替レートで計算しようとしてしまうからだ。実際、2015年当時の為替レートを調べて、この教科書の表紙に「当時の為替レートは1ドル=120円である」と付箋を貼っている読者は少ないだろう。いや、凡例を確かめないと、実は翻訳して出版する際の為替レートへ親切にも置き換えてくれているかもしれない・・・などと、面倒臭い確認を色々とやりながら読まなくてはならなくなる。

もちろん、これは円に置き換えてあったとしても同じような問題があり、1995年に書かれた日本人の手になる教科書を2026年に読むとすれば、少なくとも1ドルが80円を上回る(額面は少ないが、ドルから見ての言い方なので)円高になっていたという事実を知っておかなくてはならないだろう。

こういうわけで、法律や経済の教科書が数年おきに改訂されるなり新しく書かれ出版されている実情には、妥当な理由があると思う。もちろん、科学哲学の(まともな)教科書でも、そこで利用している定数などの値が、測定値の精度が上がったり定義の基準が変更されたなどの理由により学術団体の定義において変わったら、それをフォロー・アップして改訂するのが道理というものだ。たとえ議論している内容が、いやしくも哲学であるからには時代や状況に縛られない「普遍的な」テーマと称するなにごとかであろうと、その基礎になる背景知識、それから論証・実証に用いる情報は、どう考えてもソースという属性つきのものであろう。

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