Scribble at 2026-01-27 08:29:43 Last modified: 2026-01-27 11:33:22
まだ手を付けてもいない人間が言うのはどうかと思うのだが、このところ3年ほど画像生成 AI に関する出版物の動向を見ていると、はっきり言って貧弱な印象を受ける。もちろん、ローカル・マシンで使える画像生成 AI のモデルは、その殆どが現在も係争中の著作権侵害にかかわる事案に関連していて、おいそれとはクリエイターの権利を侵害することを助長するかのような出版物を出しにくいという事情があるのかもしれない。
ただ、そういう事情とは別に基本的な原理だとか、生成された画像として出回っているものの品質を評価するための知識なり情報はあっていいわけである。「AI」と聞くだけでヒステリーを起こすナオミ・クラインのようなパフォーマンス左翼だとか、「哲学として技術を語る」というハイデガーの猿真似がお好きな底の浅いラッダイト諸兄はともかくとして、冷静にテクノロジーの是非について正確に議論したり、あるいは基礎から丁寧に学ぼうという方々にとってはあまり良い状況と言えまい。
そもそも、これは拡散モデルだけに限らず、科学哲学であれ、あるいはプライバシーマークの実務についてであれ、僕が一定の分量でウェブ・ページや論説や教科書を書こうとしている分野においては、基礎から実務までをカバーする本が圧倒的に不足しているのだ(科学哲学の「実務」はプロパーだけが知っていることだと思うかもしれないが、なにも科研費の申請を出したり、日本科学哲学会の総会を手伝うことだけが実務なのではない)。
特に、最近の若者であれば、こうした手順や基礎知識やノウハウは、一つの文書としてまとめる必要がないと思うかもしれない。つまり、必要に応じて「チャッピー」に聞けばいいというわけだ。でも、生成 AI があれば不要だろうか。さきほど朝の雑談をしたときでも困惑させられたのだが、最新の Gemini ですら、「2026年1月現在の日本の防衛大臣は、小泉進次郎氏以外の誰かだ」と言い張って聞かない。RAG をリアルタイムに実行すらせずに、こういうハルシネーションを平気で起こす。かたや SNS で刹那的かつ大量に流れるのは、殆ど歴史を知らないか学んだこともないゴロツキどもが垂れ流す「なう」の話ばかりである。こういう対照的で極端で、しかもどちらも如何わしい内容の媒体に囲まれて、僕らは生活している。かたや現在の情報を知らない AI があって、かたや歴史を知らない馬鹿が SNS にいる。こんな状況で、まともな見識だとか生活のスタンスを確立したり維持するには、どう考えても自ら知り、考え、そして何程かの体系として方針をまとめる他にないのだ。そういう方針があってこそ、AI なり SNS を有効に活用できるわけであり、小中学校でガキに教えるべきは X のアカウントの作り方やインチキなプログラミング教育などではないのである(そんなもん勝手に覚えてやるだろ)。
いや、こういうことを提言する以前の話だが、幾つかの調査によると、生活や仕事で生成 AI を使っている人なんて、実際には半分もいない。しかも、使っている人でも毎日のように業務の手順や生活の道具として活用している人は更に少ない。つまり、「テキストなんていらない。生成 AI があればいい」などと言いつつ、実際に教科書を読んで学ぶていどに生成 AI を使っている者は少ないのだ。なぜか? 考えればあたりまえのことだが、生成 AI の用途は大半が質問への答えを得ているだけだからである。そもそも何かを学ぶことなしに、問いや疑問が生まれる筈はない。よく「東大生は Gemini を活用して、授業の内容を補足している」などと感心したふりをして X で自己宣伝している連中を見かけるが(「東大」というキーワードを使って、しかも東大生について何かを知っている人物として注目されたいのだろう)、一定の体系を用意して組み立てられた授業を受けてこそ活用できるのであり、授業を受けず、テキストも読んでいない者がチャッピーに質問したところで、そもそも学んでいないことをチャピーが教えてくれるわけではない。それこそ、「線形代数を全く知らないので教えて」などと言ったところで、テキストを読むのと変わらないくらいの分量がある AI のレスポンスを読むことになるだけなのである。
また、そういうやり方では、何度も紹介しているようなハルシネーションなどを見つけたり評価する基準が欠落している。そもそも学ぶということは、そういう基準を自分で持てるようにするためのチャンスであるにもかかわらず、そこを AI に丸投げしたのでは、大学であろうと会社であろうと、あるいは普段の生活であろうと、「あなたが存在している理由はない」ということになる。これは、SNS やソーシャル・メディアなどの利用においても言えることであり、自分の見識でフォローすべき相手を選んだり、投稿を眺めたりすることなく、AI にフォローすべきアカウントの選択を委ねたり、翻訳してもらうだけでは、ビジネスモデルの観点では AI の部品になっているだけの話である。よく、Facebook が流行していた時期に言われたことだが、ああしたサービスの経営者にとって、サービスにロック・インされてしまっているようなユーザはビジネス・モデルの部品なのだ。