Scribble at 2025-11-15 09:23:13 Last modified: unmodified

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LLMs-as-AGI fail on all three fronts. The computational profligacy of LLMs-as-AGI is dissatisfying, and the exploitation of data workers and the environment unacceptable. Instead, if we drop the AGI fantasy, we can evaluate LLMs and other generative models as solutions for specific problems, rather than all problems, with proper cost benefit analysis. For example, by using smaller purpose-built generative models, or even discriminative (non-generative) models. In other words, make trade-offs and actually do engineering.

AGI fantasy is a blocker to actual engineering

著者のボトム・アップと言うべきスタンスには説得力があると思う。ただ、「ボトム・アップ」だからいいというだけでは、日本の愚かな社会科学者と同じく「手弁当」とか「草の根」というフレーズを神聖化する周回遅れの左翼や、あるいは上向きに要求することしかしない通俗民主主義者になってしまうから、もちろん「アップ」するのが何なのかについて「ボトム」だけに自律的・特権的な役割を与えてはいけない。雑に「工学的」と呼ばれているアプローチだけでは不十分であって、当サイトの意見として語るのは或る意味で手前味噌だが "philosophy" が必要だと思う。

したがって、AGI を語るような人々と向き合うべきなのは、そういう "philosophy" をやっている人々でなくてはならないわけだが、得てして日本などでは工学部出身の哲学プロパーとかが「AI がどうのこうの」という与太話をイベントなどで語ったり、クズみたいな新書を書くのが通り相場となっている。それでは、日本でまともなコンピュータ・サイエンスの科学哲学が成立するには、まだ半世紀以上かかるだろう。

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