Scribble at 2025-05-27 10:16:35 Last modified: unmodified

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山梨県富士吉田市の堀内茂市長も5月13日の定例会見で、須藤市長の見解に賛意を示した。「救助は命がけ。趣味や道楽で登る人らをなぜ公費で救う必要があるのか」と、基本的な知識さえ欠く観光客が安易に登山することを強く批判。静岡県側と協力し、救助費用の自己負担化を求めていく考えを明らかにした。

オーバーツーリズム批判は外国人差別か? 富士山で連続遭難した中国人大学生に批判が殺到…専門家は「地元住民のケアと外国人排斥は無関係」

歴史的な事実を考慮すると分かるはずだけど、そもそもコミュニティの外からやってくる人というのは、外国人だろうと同国人だろうと監視の対象になるのが当たり前なんだよね。つまり、別のコミュニティからやってきたというだけで、同国人であっも方言が通じなかったり、生活習慣が微妙に異なるので、なんだかんだ言っても諍いのもとになる。同質性を求めるのは「自然」なことであって、いま左翼が喚いている浅薄な「多様性」にしても、要するに彼らはそれをあらゆる社会に浸透させようとしているという意味では「多様性を敷衍させることによる同質性」を達成しようとしているとも言える。(ちなみに、こういう用法で括弧を使うと引用の括弧と区別がつかないと言われたりするのだけど・・・日本人なら区別しようよ。なので、強調したい場合にこういう太字のスタイルを適用するようにしてきたのだが、もちろんこれも使い続けるけれど、特に断りなく括弧も再び強調のために使うことにする。)

調べてみると、これは日本だけに限った話ではなく、多くの国では遭難などのレスキューは自費だったり、あるいは入山するときに少額の保険に入ったりすることが多いという。要するに、どちらにせよ公費で救助するのには限界があるし、もちろん上の記事で書かれているように納税者の理解が得られない。生活するのに必要最低限の資金を生活保護として支給するといったセーフティ・ネットとは違って、登山、とりわけ観光客の登山は単なる遊びである。なので、僕は救助費用を本人に請求するのは当然だと思うし、なんなら費用を払わずにバックレる可能性がある外国人(まぁ、簡単に言えばアジア人やアメリカ人だが)こそ、出入国管理局の施設に隔離するべきではないか。

で、これを「差別」という話に結びつけたい左翼が多いのは分かるが、そもそも外国人に対する差別というのは人としての基本的な人権(自国人には等しく保障されている)の一部を、その国の国籍をもたないというだけで制限することを言う。よって、遭難した費用を請求するという方針は、日本人だろうと中国人だろうと関係なく当てはめれば、差別でもなんでもないわけである。

僕は MD では何度か書いているが、そもそも観光事業などという水商売で国の財政や経済を活性化させようなどという発想そのものが奴隷根性でしかなく、そんなことを国策に掲げること自体が愚かであるとしか言いようがない。入国してくる者は、ビジネスであろうと教育であろうと観光であろうと、基本的には自国や自国の人間にとっては部外者であり、更に言えば誰であろうとたいていの人にとっては「客」でもなんでもないのだ。昨今は大阪市内でも、タワー・マンションが立つと大半の住人が中国人だったり、あるいは YouTube で驚嘆されるような美しい街路にゴミを捨てたり唾を吐くのが、まさしく美しい街路に驚嘆している観光客だったりするわけで、観光客なんて少ないほうがいいに決まっているのだ。

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