Scribble at 2025-04-26 07:48:57 Last modified: 2025-05-02 07:03:03

蔵書を整理して売却する予定なのだが、単純な方針で整理することとした。仕事でも言えることだが、複雑な条件で方針を決めると、物事の分別あるいは是非を決めるために大きなコストと時間がかかり、そして判断が遅れることはビジネスや仕事において、たいてい判断の是非と同じくらいリスクを高めることになる。だが、判断の是非が間違っていても、実はたいていのことはロール・バックしたりリカバリーできるが、時間は取り戻せないので、時間を無駄にするリスクを低減するほうが望ましい。特に、僕らのようにおおむね「残り時間」が少ない老人にとってはなおさらだ。

そんなわけで・・・なんだか Windows を立ち上げた直後にブラウザで「オン書き」してると、やたら別のプロセスにフォーカスを奪われて空タイプしてしまうのだが、プロンプトのウインドウすら出てこないのに何のプロセスがフォーカスを奪うんだろう。これ、もう30年くらい前から Windows を運用していてイライラするのだけど、あまり言及する人がいないという事実も不思議なんだよね。Linux や macOS の GUI 環境では一度たりとも起きていないので、これは Windows のデスクトップ環境に特有の、Windows のユーザなら多くの人が経験してる筈のことなのに、どうしてだろう。それとも Windows のユーザというのは、ログオンしてデスクトップ環境が起動してから、よほど仕事をすぐに始めない人が多いんだろうか。そんなことしてる間に、誰の人生であろうと終わっちゃうよ?

さて、それはそうと本の整理についてだが、何かの参考にしようと手に入れておいて読んでいない本を最優先で売ることにしている。特に、自分自身では殆ど興味も学ぶ意義も感じていないのに、「何かの役に立つのではないか」とか、あるいはすごく下世話なことを言うと、「こういうことに見識がないと『哲学者』として恥ずかしいのではないか」という自意識だけで所持しているような分野の本、たとえば宗教とか、哲学史とか、ウィトゲンシュタインの解釈本とか、そういうのも手放すことにした。もちろん、僕も凡庸な人間の一人であるからには、こういう自意識なり自己欺瞞にとらわれることもあるわけで、そういうことから脱するためにも、昔からよくある「碩学」だの「哲人」だのといった、歩く百科事典のような人物像に押し込められないよう、割り切る必要がある。結局、なんだかんだ言っても、書店あるいはアマゾンの画面などで、「ひょっとしてこれは読んでおいた方がいいのではないか」と、あたかも学術的な理由があるかのように自分を騙していても、しょせんそれは「なんでも知ってるボク・ワタシってば♥」とか、他人に「そんなことまで知ってるのか!」と驚かれたいという自意識プレイにすぎない。やはり自分自身の見識や経験や必要にしたがって決めるべきであり、しょせん学問なんて死ぬまでのあいだ自分がどこまで納得できるかの勝負なのだから、「読んでおいた方が良い」などという他人の目や評価に引きずられた理由で物事の是非を決めてはいけない。

ということで、そういう事情で置いてある本はことごとく売り払うこととした。もちろん、筆頭は宗教に関わる本だ。いっときは当家の宗旨に関連する本を何十冊と買い込んで目を通していたのだが、つまるところ宗派や宗旨がなんであろうと宗教の本質や活動や思考や制度は全て TMT (terror management theory) で説明できると思う。

それから次に、そろそろ国内でも話題なり研究テーマにする人が出てきたので、分析哲学や科学哲学の知識社会学的なテーマについても、直接の関わりがある範囲を越えたところまで色々と調べるのはやめることにした。つまり、とりわけアメリカの黒人差別とか、アメリカのフェミニズムとか、アメリカの南部とか、アメリカの歴史とか、アメリカの哲学教育とランド研究所とか、論理実証主義とマッカーシズムとか、そうしたことを必要以上に詳しく調べるのは止めて、これから出てくるであろう人々に期待したい。本当のところ、いまの状況を見ればアメリカの社会科学なんて結局は「よい社会」を醸成するにあたって効果がなかったと言ってもいいわけで、僕はとりわけ社会科学の学問は結果を問われなくてもいいなんてことはありえないと思うから、アメリカの社会学や政治学についても、どれほどの「古典」であっても学ぶ意欲がかなり減退している。何を言っていようとトランプが大統領になるような国になってる時点で、実験国家としてのアメリカは現時点では「人類史の失敗作」だと言わざるをえない。もちろん、アメリカの社会科学がここまで進展してきたおかげで「まだこの程度で済んでる」と弁明できるのかもしれないが、社会科学の素養もある人間として言わせてもらえば、そんなタワゴトは社会科学の研究者にもなりえた僕には通用しない。しょせんアメリカの社会学も日本と同じく、黒人や肥満児や貧乏白人についての些末な生活記録をほじくり返してるだけの連中ということだろう。

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