Scribble at 2025-02-04 17:08:06 Last modified: 2025-02-04 17:14:05
実家に残してあった写真を持ち帰って見ていたら、こういう懐かしいものが出てきた。これは、僕が中学生の頃に、数週間だけ毎日のように通って発掘現場の手伝いへ参加させてもらっていた際の1枚だ。場所は大阪府枚方市で、京阪電鉄「宮之阪」駅からバスで北東へ 2 km ほど行ったところにあった、「交北城ノ山遺跡」である。現在は枚方市立山田中学校があり、その中学校の建設にあたって発掘調査を実施した区域の光景だ。発掘は1981年であったというから、中学に上がって恩師の西田光男という先生(社会科担当なので社会科クラブの顧問だったのだが、僕は西田先生の授業を受けたことはない。一つの教科に複数の専任教員がいる学校では、こういうことがよくある)から、考古学で長らく教えを受けた瀬川芳則先生を紹介していただき、瀬川先生が所属されていた枚方市文化財研究調査会(平成30年解散)が参加する発掘の雑用係として、僕を呼んでくれたというわけである。
実際、僕がやることは出てきた遺物を洗浄したり、遺構をトレースする準備として地表を掃除したりという作業が殆どで、たまにヘラで発掘作業の初歩を手ほどきしてもらうこともあったていどである。それでも、なかなか面白い作業だったし(こういう単調な作業は苦にならないので、鉄工所やパン工場や包装紙の工場でもバイト・リーダーなどをやっていたわけである)、学ぶことが多かった。特に、ユンボ(油圧ショベル)の作業員が見せる高度な技巧には、文化財行政の職員や大学の研究者も感心させられている様子で、こういう人たちがいないと迅速に調査は進められないなと思った。考古学では恩師の一人でもあった森浩一先生は、こういう発掘専門の土木業者を嫌っている様子があったのだが、大学の学術調査として予算や日程に余裕のある発掘ばかりではないわけで、文化財行政の措置として実施する場合には効率的な作業が求められるのだから、こういう人々の技巧は貴重である。迅速に行われる作業が、何らかの見逃しや割り切りを伴う雑でビジネスライクなものであるだとか、学術的な調査に比べて作業の成果が悪くなるというのは、単なる偏見であろう。