Scribble at 2024-05-04 13:04:49 Last modified: 2024-05-05 08:07:37

大化の改新よりも前代とされる六世紀以前の時代に、ヤマト政権がどのような体制であったかは、有力な豪族によるサポートと皇族との牽制関係が維持された連合政権であったとか、あるいは既に皇族を中心とする専制的な体制が形成されていたとか、幾つかの学説に分かれている。しかし、文献だけを検討した場合と、考古学の遺跡だけを検討した場合とで食い違いが生じる可能性はあるため、やはり幾つかの観点やアプローチを総合した理解が必要となるだろう。

これは、その社会や共同体あるいは広く言って世の中の現状をどう理解するかという話でもあるから、現代にも同じことが言える。NHK や国家官僚や大企業の労働組合幹部のように、一部の上場企業や大企業の動向しか見えていなければ「インフレに連動して給与がアップしていっている」などと気楽なことを報道したり記録や日記として書き残すことはできるであろうが、法人の 99.9% を占める中小零細企業においては給与アップなど全く実行されていないわけで、報道資料などだけが後世に残れば「令和初年度に起きたインフレでは多くの企業で従業員の給与が引き上げられた」などと解釈する歴史学者が出てくるのだろう。でも、僕ら大半の国民の生活した痕跡が後世に考古学的な資料や遺跡として残る可能性は殆どないわけだが、何らかの物的な資料が残れば、文書の記録としてはそうであっても、物的な証拠から言えば現実の大半の国民において給与など上がっていないと解釈する考古学者がいるかもしれない。

よって、文献資料と埋蔵資料とでは別の解釈が出てくる可能性がある。これを整合的に取り扱う(もちろん、場合によってはどちらかを故意かどうかはともかく誤謬の記録として扱う必要もあろう)ためには、簡単に言えば文献資料もまた一つの「物的な史料」として扱うアプローチが求められる。なぜなら、文献は記載されている字面の情報だけが重要なのではないからだ。これを、未熟で無能な一部の(「一部の」であってほしいが)文献学者というのは切実かつ厳密に理解していないため、古文書の読書みたいなことだけで歴史学ができると錯覚しているわけである。同じく、考古学の資料である遺物や遺跡についても、その調査報告書という文献が本当に正確な記録や解釈を施しているかどうかという観点で、歴史学者と同じ程度に文献資料を批判する能力が求められて然るべきだ。なので、古文書だろうと最新の発掘調査報告書であろうと、どちらも文書の史料として扱うべきところがあり、考古学の資料を「客観的な証拠」などと気楽に言ってのけるような者は考古学を学ぶ資格に欠けていると思う。

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