Scribble at 2024-01-30 16:23:06 Last modified: unmodified

「あたまの悪い人が書くテキスト」の典型というのは、これから説明を初めて最後の方でやっと分かるようになるような用語を使って、冒頭に教科書の説明をしてしまうような本である。これは、実は海外でもよくあることで、いま僕が手にしているロス&キニーによる論理回路の教科書も、後半にやっと説明が出てくる「フリップフロップ」という概念を冒頭で使って何かを語った気になっている。こういう、頭の悪い、というか頭の弱い連中が平気で大学教授をやっているというのが実態だ。

人によっては、最初にこれから語るべきことを、定義があろうと分かるまいと正確に書き表すことで、「分からないが取り組んでみよう」と思わせるために、わざとそう書いているのだと弁解する場合もある。しかし、そういう書き方に殆ど効果がないことは、既に予備校のテキストや通俗本などの評価やフィードバックあるいは査読によって、だいたい大手の受験参考書の編集者であれば何十年も前から心得ている常識であろう。

最初に定義もされていない言葉を書き連ねることによって、読む人の奮起を期待するというのは、殆ど江戸時代の寺子屋で洟垂れ小僧に論語を講じているような時代錯誤、いや当時ですら良い指導法だと見做されていたかどうかすら怪しいわけだが、ともかくそういう指導方法や教え方でも育った者によってしか効果を推し量れないという、典型的な生存バイアスに陥っているように思える。恐らく現代であれば、愚かな方針で構成されたテキストであっても東大暗記坊やたちは生き残れるので、教科書を書く方も愚かさに気づかないというわけなのだろう。

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