Scribble at 2023-11-16 08:10:00 Last modified: 2023-11-16 13:27:18
「まあ、米津玄師とKing Gnuに関しては“NHKが落とした”のではなく、“NHKが断られた”のが正しいところだと思います。それぞれが納得いくパフォーマンスを披露したいストイックなタイプで、何かと制約が多い“紅白のステージは合わない”とオファーを断った可能性はありますね」
たまにはこちらでも俗事の話題を取り上げておこう。上記の話は、こんなの単なる想像で何の根拠もない話だろうけど、出演しない側にはこういう事情があったとしてもおかしくはない。
まず、NHK の出演料が「公共放送」という名目で極端に安いのは大昔からの話だし(もちろんウェブ・コンテンツの制作や運営についても言える)、お金だけなら色々と理由をつけて断る人が多くても不思議ではない。NHK 、なかんずく紅白歌合戦に多くの歌手やアーティストがせっせと出ていたのは、簡単に言えば広告費として一定の効果が見込めるからに過ぎないわけで、とりわけ高齢の視聴者が観るという目論見や体裁だけで売れてなくても出てくる演歌歌手などにとって紅白歌合戦は、早い話がドサ回りの代わりなのだ。そして若手の歌手にとっては、出演料が安かろうと発注業者としての NHK と関係を維持するために実績作りとして出ているという事情があろう。これは、ウェブ・コンテンツの制作においても NHK の仕事をしたというのは(当社のように公表できる場合は)大きなアピール材料になる。ちなみに、僕は『ウェルかめ』公式サイトのコンテンツ制作に携わったし、『まんぷく』など大阪放送局が担当した幾つかの作品でコンテンツの新着情報を配信するデータ(JSON 形式で通信する)の管理システムを開発したことがある。ともあれ、何らかの他のメリットがなければ、出演料だけだと大晦日に生放送の番組にわざわざ出演するには無理がある。
そして、米津玄師にしても Vaundy にしても、ネット配信のアマチュアとして出発したアーティストの多くは、要するにマスコミ的な人情とか融通とか貸し借りとか体裁のような、はっきり言えば無能がすがりつく利害関係には興味がないという人も多い。実質的に何の意味や価値があるのかだけで判断するという、別の意味でプロフェッショナルな人物も増えた。これは、ネットでパフォーマンスという結果だけで実績を積み上げた人々にとっては当たり前のことであろうし、もちろん僕は(手放しではないにせよ)こうした人々が増えることを歓迎したい。彼らにとっては、紅白歌合戦がなくなろうと知ったことではないだろうし、「山奥で、身体に障害のある、高齢者にも歌を届ける」なんていうカリカチュアの情景というかお涙頂戴的な言い訳など歯牙にもかけないだろう。そもそも、山奥で身体に障害のある高齢者も Vaundy の歌を聴くべきだという発想そのものが、一種の古臭い共産主義やファシズムの結果平等という、実はあらゆる境遇の人を平等に差別する思考だからだ。それに、ネットで活躍する彼らにとってみれば、日本の山奥どころかアジスアベバの場末の病院で死にそうになってる人へ歌を届けることの方が重要かもしれないわけで、従来の(静かにナショナリズムを植え付けてきたかもしれない)日本の僻地にうたを届けるというアイデアを無視することの方が、左翼的な意味で「よいこと」である可能性だってあろう。雑な意味でだが、まさしく脱構築、である。