Scribble at 2023-07-09 14:56:23 Last modified: unmodified

実在論という話題について、或る種の混乱を感じたり、あるいは何か胡散臭い議論だという印象をもつ人がいるのも分かる。その出自として(公式ないし教科書的には)中世に遡る議論の延長戦をやっているように思えるからかもしれないし、そういう背景知識がないとしても、議論そのものに胡散臭い思弁のようなものを見て取るからかもしれない。実際、僕も学部生の頃に初めて接して、科学哲学の議論としては既に The Scientific Image の出版から10年が過ぎていたけれど、まだ「いろいろな実在論のバリエーション」を作っては、いたずらにテクニカルな議論へ当てはめて乱暴な結論を出してみたり、逆に具体性に乏しい概念操作に没入してみたりと、ほぼ今でも同じ事が言えると思うが、あまり救いも望みもない議論を延々と続けたり展開していたように思う。そして、何年かすると色々な実在論の議論を俯瞰した、まとめ記事みたいなものを出版する情報処理業者みたいなやつが(特に日本とか呼ばれる文化的辺境地帯、あるいは逆にゲームやエロアニメといった風俗文化の先進国家に)出てくる。

realism, anti-realism, quasi realism, irrealism, hyperrealism, pseudo realism などなど、あるいはもう少し気の利いた茶飲み話ができる人であれば、「未実在論」とか「不実在論」とか、とにかく母国語の接頭語として使えるなら何でも当てはめて、数年ごとに新製品を学術研究コミュニティなり出版業界に投入してくるありさまだ。ファン・フラッセンが皮肉を込めて取り上げて粉砕しようとした実在論の議論は、逆に概念操作が大好きでクリシンを哲学だと教えられて博士号をとったようなハーヴァードや MIT のお利口さんたちが喜んで手にする新しい哲学的なおもちゃとして、つまりはしょーもない生物個体として死ぬまでのあいだの暇つぶしの道具として便利に役割を果たしているらしい。

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