Scribble at 2023-02-01 07:56:44 Last modified: 2023-02-01 10:37:32

書店に入る機会が少なくなっているが、月曜日に帰宅する途中でフェスティバル・プラザ(朝日新聞の地下)にある文教堂で、『死は存在しない』とか言ってる俗書を見かけた。もちろん、死について文章を公にしているといった事情だけで、この手の商業的な出版物を収集して目を通すほど学術研究者というのは暇人ではない。それによって「全てを見ずに論じている」といった全知を他人に要求するのは、簡単に言えば軽い偏執症でしかあるまい。まともな精神を保つ人間は、そんなもの必要だとは思わないであろう。クズは端的に言ってクズでしかなく、それをクズを読む「反面教師」などといった効果は、実際のところあらゆる学術研究において実証どころか理論化すらされてはいない、ただの反論にも目配せする寛容で「いい人」を理想的な人類と想定するファンタジーである。現実の学問に、そんな下衆な人間像など不要である。Doomsday argument を展開する必要があるかどうかはともかく、われわれには、そんなことをしている余裕など本当はないのかもしれない。というわけで、こんな紙屑に科学哲学者が目を通す必要などみじんもあるまい。そろそろ、良い人ぶってこの手の素人の作文に度量の大きなところを見せるなんてことは、世俗的な「哲人」の自己イメージを裏書きする低俗な演芸でしかないのだ。

なので、「死」が存在しないなんてことは形而上学的には自明であって、いまさらセンセーショナルにかようなことを喚き立てるのは、はっきり言えば無知無教養の自己宣伝でしかない。そして、読まずにそんなことを言えるのが、それぞれのコミットメントなのである。・・・で、えーと、何か書き直したり書き足そうとしたけど、会話していたら忘れてしまった。

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