Scribble at 2022-08-02 10:50:59 Last modified: 2022-08-02 10:54:33

既にご存じの方も多い筈だが、ここ10年以上にわたって "pessimistic meta-induction" というロクでもないタームを coin した人がいて、科学哲学のプロパーが貴重な時間をこんな茶飲み話に費やして論文まで書いているありさまだ。経営学やビジネス書に慣れ親しんでいる企業人ならお馴染みのバカバカしい結果論を、プロパーの哲学者が大真面目に議論するほど学問が通俗化したとは、逆にそれを驚くべきであろう。

"pessimistic meta-induction"(以降「悲観論」と書く)とは、簡単に言えば「これまで科学の理論は次世代の理論によって否定されてきた。だからいまの理論も間違っているし、これからも間違い続けるであろう」という屁理屈である。これが科学的実在論という、これまたかなり雑なトピックの中で精緻な定式化を与えられて何年も議論されているというのだから、実に驚くべきことである。そして、この悲観論を支持すると科学の展開が実在論の想定する〈進展〉なり progress ではなく、夥しい数の出鱈目を歴史の上にバラ撒くだけの愚行に終わるそうな。「よって、科学的実在論は間違っている」というのが悲観論を支持する人々の結論らしい。

しかし、これは端的に言って科学史の変遷を「間違い続けてきた」と後ろ向きに(まさしく「悲観的」に)理解するだけのことでしかなく、convergence という概念を最初から否定しており、過去の間違いが将来の〈さらに正しそうな〉考えへ至るためのステップなり下地になっているという発想を殆ど根拠もなく無視しているだけのことである。簡単に言えば論点先取であり、自分自身の科学史に対する偏見を哲学の議論であるかのように錯覚しているだけのことだ。信頼できないのは科学における推論の仕方ではなく、科学や知識の推移について君ら悲観論者が理解する仕方の方だ。

なんで科学哲学を専攻しているような人々が、こんな子供騙しのレトリックに引っかかって時間を浪費するのか、それ自体を科学社会学や知識社会学のネタとして調べてもらいたいものだ。いや、もしかすると認知心理学の問題かもしれないが。

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