Scribble at 2020-02-15 20:05:21 Last modified: 2020-03-29 13:43:45

5. Evolution Will Turn You Into a Freak

4. Nobody Can Ever Find Out

3. You're Still Getting Older (Mentally)

2. Time Speeds Up Until You're Insane

1. You'll Eventually Get Trapped Somewhere (Forever)

5 Reasons Immortality Would be Worse than Death

不老不死は危険であるという反論らしい。子供の空想にすぎないが、ひとまず取り上げておく。

5. は、他の種(あるいは不老不死ではない人たち)が進化していくのに、不老不死の人たちは進化しないから、《置いてけぼり》になるという主張だ。確かに、それによって新しいリスクや感染症への耐性が獲得できないまま何らかの被害を受ける可能性はあろう。しかし、不老不死の人々は不老不死なのであるから、急激に影響が出ない限りは、進化によって不老不死以外の種が何らかの耐性を獲得するよりも早く人工的な対策を発明するかもしれないわけで、なんで不老不死の人類の知性が進化に《必ず負ける》と言いうるのか、根拠はない。

4. は、自分一人だけが、なぜか急に(あるいは生まれつき)科学技術とは関係なしに不老不死の生物だったというおとぎ話から出発して、有名人になったり、医学研究の実験体にされたり、誘拐されるかもしれないという危険があるという反論のようだ。もちろん、これは前提が不老不死よりもあり得なさそうなファンタジーか下手な SF に過ぎず、論じるに値しない。そもそも、有名人になって何がいけないのか。医学研究の実験体に喜んでなってもいいではないか。そして、誘拐されたところで不老不死なら簡単には殺されまい。

3. は、脳の記憶が増えすぎてパフォーマンスが落ちるという、これも科学的に何の証拠もない空想から出発する怪談話の一つだ。記憶容量は、現在の技術においてすら HCI の応用で外部記憶を利用するとか容量そのものを増やせないかという研究が進んでいる。それに、これは昔から脳科学で言われてきたことだが、脳は《どうでもよいこと》と判断した記憶はどんどん忘れていく。よって、この宇宙で永遠に生活するにあたって脳の記憶容量を超えるような知識がなくてはならないという根拠がない以上、100年前のことを忘れようと大して問題はないだろう。たとえば、僕は僕の愛する連れ合いの記憶を維持できれば、他の記憶など無くなって自分が哲学者だという記憶が失われても何とも思わない。記憶はなくなっても、哲学者《である》という能力に変わりはないからだ。哲学者であることとは、自意識の問題ではないのである。

2. は、俗に歳をとると時間の過ぎ行く速さが進むという経験談を根拠にしている反論らしい。このような加齢と時間感覚との反比例の関係を「ジャネーの法則」と呼ぶらしいが、実際にはそう呼ぶだけであって科学的な根拠のあるものではない(よって、これを「法則」などと言うのは傲慢あるいはパフォーマンスでしかない)。実際には、焦っていると短く感じるといった心理的な効果によるところが大きいと科学的な説明が進んでいる。そもそも、時間感覚が不老不死ゆえに永久に短くなるというなら、仮に1歳で24時間のうち -1 秒の感覚が短くなるとすれば、86,400 年後には1日を1秒と感じるようになり、周囲の(不老不死ではない)人がすべて島村ジョーのような世界で生きることになる。もしそんな心理状態が本当に進行するなら・・・86,400年のあいだに何かやるだろう、JK。

1. そして最後に、どこかで天災などに遭遇して身動きできなくなっても永久にそのままであるという。仮に、例の mind uploading が技術として完成し、何らかの機器に自我なり主観なりをアップロードできたとしよう(そしてそれが単なるコピーではなく移動だったとする)。そして、その機器が太陽発電か核融合などで自足的に動作し続けるものの、何かの事故で宇宙空間へ放り出されてしまい、自動システムで様々な障害物や電磁波や重力の影響から逃げられるように電力を維持しながら漂えるものとすると、あなたは宇宙空間を永遠に漂い続けることになるかもしれない。でも、そうでもないかもしれない(それに、そもそも定常宇宙論でもない限り、「終わり」はやってくる)。あるいは、僕もかつては自分自身でヘンテコなお伽噺を空想したものだった。つまり、神か悪魔と契約して、不老不死になれる。その代わり、視覚を備えた精神だけの存在となって、しかも100年ごとにランダムな地点に視界もろとも固定される。たとえば、本町の美々卯本町店の向かいにある電柱の根元に100年間も固定されて、付近のサラリーマンが真正面から自分に向かってゲロを吐くのを100年も見続けるとか、付近の犬が自分に向かって小便するのを100年も見続けるわけである。そして、やっと100年が経過すると、次はどこかの国の下水道の底とか。あるいは周囲1光年の範囲に星や浮遊物が殆ど存在しない、地球から何百光年も離れた宇宙空間とか、あるいは地球の中心とか(別に熱くはない)。その次にどこへ移動させられるのか全く不明な状況が永遠に続くのであり、これをして望むべき不老不死だと喜べるのだろうか。恐らく、自分で動くということ(頭の向きを変えるとか場所を変えるとか)が抜けていると、少なくとも辛い。実際、いまでも寝たきりになっている人々は辛い思いをしている筈であり、辛くないと言っている人たちでも、それはせいぜい現代の人として死ぬまでの間は我慢できるというだけの話かもしれない。

しかし、この 1. にしても、長年にわたって生きていれば何らかの災害に遭って、どこかへ閉じ込められたまま《永遠の空しい生を送る》はめになるなどと言いうる根拠などないのである。彗星が衝突するだの、主系列星に当たる太陽の寿命が尽きるだの(ちなみに昔は赤色巨星となって地球を飲み込むと言われていたが、赤色巨星になっていく過程で惑星の公転軌道も広がるため、飲み込まれないという学説もある)、あれこれと今の時点ですら色々と災害やリスクが予想できるというのに、どうして不老不死の生活を送っている人々が将来の災害やリスクに備えられる技術や予測の理論を持てないと言えるのか。逆に、それほど愚かな人類であっても不老不死を達成できるというなら、皮肉なことに、それほど不老不死への到達を期待できる理屈もなかろうと言うものだ。

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