Scribble at 2017-10-10 16:14:37 Last modified: unmodified

女性に大人気「フクロウカフェ」のあぶない実態

フクロウに限らず、鳥や猫といった小動物のカフェはあちらこちらにできてるけど、どうも僕には動物園と同じく割り切れないものがある。見世物として使役されているところに行って、自分が可愛がっているだけで、何が「動物好き」なのか。動物好きとはマゾのことなのか?

もちろん、スズメバチやサメやサソリはヒトのいないところで勝手に繁殖してもらう方がいいので、ヒトの居住地域に入ってくれば捕獲したり殺さざるをえない。でも、それ以外はペットだろうと家畜だろうと何とかカフェの動物だろうと、基本的に人が勝手に動物を使役しているという自覚が必要だと思う。

確かに、動物と一緒にいて心が和むという人はいるし、すくわれるという人もいる。それは分かる。そういう人たちに、「それは自分勝手な思い込みで、動物を実質的に虐待しているだけだ」と指さすことは気の毒ではある。バカにも、バカのまま死んでゆく権利くらいはあろう。でも、首に縄を付けておいてペットが「家族」だなんていう人は、僕には信じられない。

しかしそうすると、自分の子供に生まれる前に何らかの医学的処置を加える親はどうだろうか。ヒトもしょせんは動物であるからして、それもまた、どんな理由や事情があろうと「動物虐待」の特殊な事例だと言えまいか。恐らく、或る人々(キリスト教原理主義とか)なら、そう言うかもしれないが、僕は自分の子供を或る年齢までは強制して躾けたり拘束して自由にできなくすることと、インコを鳥籠へ入れておくことは同じではないと思う。なぜなら、このようなことの是非は、そもそも人間にとっての価値観の問題だからだ。つまり、人としての我々がどうするべきかという問題であって、それが自然法則だからそうする「べき」なのではない。

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