Scribble at 2017-08-06 14:16:04 Last modified: 2018-01-31 10:34:39

6月にAKB48選抜総選挙で結婚宣言したNMB48のメンバー、須藤凜々花(20)が4日、ドイツに留学する意向であることが分かった。NMBの新アルバム「難波愛~今、思うこと~」を記念し、大阪市内のオフィシャルショップにメンバーが直筆メッセージを寄せる企画で、「私はドイツで博士号を取ってきます」と書き込んだ。ドイツは尊敬する哲学者、ニーチェの故郷。今月30日にNMBを卒業するが、関係者によると、留学は具体的に決まっておらず、将来的な希望という。

NMB須藤凜々花、ドイツ留学の意向も具体的には決まっておらず

たぶん10年くらい経過したら、上記の URL もアクセスできなくなっているだろうし、いきなり書いても多くの人には何のことだか分からなくなっていると思うので、記事のテキストを引用させてもらった。確か、神戸大の後輩である成瀬君も一緒に哲学のトークショウに出ていた筈なので、そのときにこういうことをやっているタレントなりアイドルを知った次第だ。もちろん、単純に学歴だけを言えば東大を出ている俳優なんて幾らでもいるし、アメリカにはハーヴァードで演劇や文学を学んだタレントが山のようにいる。また、最近のプロフィールには書かれていないようだが、いっときは俳優の長塚京三という人がソルボンヌ大学で哲学を学んだという経歴が話題になることもあった(とはいえ、実際には演劇や文学が専攻だったらしい。過去には「哲学で博士号を取得した」などと書かれていた時期もあるようだが、それらは尾ひれのついた出鱈目らしい)。歌って踊るキャバ嬢の一人が哲学を勉強しているというギャップ(それ自体が偏見であることは特に問題にもならないようだが)は興味を引くものかもしれないが、現実のキャバ嬢でも哲学書を読んでいる女の子はいてもおかしくないし、それどころか哲学の博士号をとってからキャバ嬢になる人がいても別に不思議ではない。したがって、「哲学的には」こんなことは些事でしかないわけだが、アウトリーチに関わっている大学の哲学プロパーや哲学好きな出版関係者、あるいは哲学カフェをはじめとする実は哲学的にも社会科学のスケールとしても瑣末な活動に暇を潰している人々にとっては重大な話題のようなので、われわれ哲学者が少しばかり付き合って論じてやろう。

そもそも僕自身はこのアイドルをよく知らないし興味もないのだが、そもそも僕のスタンスをご存知の方なら想定できるように、アイドル一人が「哲学やってます」などと言って刹那的にパブを獲得しても、春秋社さんや頸草書房さんの事業継続性にインパクトなんてないし、大学の哲学科を存続させる正当化にもならない。芸能界が嫌になったというタレントが芸能人を辞める理由として、しばしば出来ちゃった婚だの海外留学だのは頻繁に言い訳として使われるし、それはそれで自由にすればいいんじゃないのと思う。ただ、彼女のパブリシティを利用して、僕ら哲学者からすればどうでもいいことを世の中に普及させたかった人にとっては、残念な話だったろう。だが皮肉なことに、彼女は芸能界を辞めても哲学を学び続けられるし、哲学者としても生きられる。それがそもそも哲学の意義の一つだからだ。コンピュータや大学図書館がなければ論文どころかスピーチ一つできないような小僧が何千人もアメリカや日本にいようと、そんなものは人類の知の歴史においてはカスほどの価値もないし、彼ら自身の人生にとってすら価値がないと思う。

ただし、彼女の哲学に対する熱意というか拘りが、「哲学アイドル」としての立ち位置と同時に切れたり萎んでしまえば、後のことは別に知らないしどうでもいいわけだが、要するにこの女の子は自意識で、つまり僕に言わせれば、最も哲学をやる必要のない人間が非常に悪質な意味において哲学に関わっていたということになる。

もっとも、そうならないことを願う必要もないわけだが。なぜなら、哲学することはよい人生の必要条件とは限らないからだ。(ただし、このような表現は補足しないと誤解を招く。こう書いたからといって、僕は通俗書を出してる教員みたいに哲学を「外道」とか露悪的に語りたいわけではないし、哲学「なんて」しない方がいいとわざわざ断言する、ersatz Wittgenstein になりたいわけでもない。)

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