Scribble at 2024-02-21 23:20:29 Last modified: 2024-02-21 23:28:10

結局、日本でお金を稼いでる「哲学屋」っていうのは、巨人の肩に乗ってるという自覚がありながら、肩に乗っかる資格みたいなものを妄想して「われわれの側」から何事かを言うべきだという歪んだ使命感で「サバイバルの哲学」だの「14歳からの哲学」だの、あるいはフランスの(裕福な)高校生は哲学をやってるとか、そういう与太話を100年くらい続けてるわけだよね。科学哲学も含めて。

もちろん、そんなのどうでもいいとか、そういうことをやってるプロパーよりも「在野」とか「独立研究者(笑)」のほうが偉いみたいな倒錯も、はっきり言ってキモい。馬鹿なんじゃないのとしか思えない。哲学をやってると自称してて、その愚かさはないよね。

でも、公に(この落書きだって同じことだ)ものを書いている以上は、伝えるべき相手に伝わる保証なんてないし、まるで理解しない連中にしか読まれないというリスクはあるわけだ。したがって、彼ら通俗物書きに言わせれば、簡単なことで、数撃ちゃ当たる式に「乱射」するしかないのだろう。そういうことにしか期待できないという諦観から、クズみたいな解釈本とか通俗哲学本をばら撒いているとすれば、それはそれで伝統的というか教科書で紹介したくなるほど典型的で立派なセンチメンタリズムだと思うけれど、しょせんは死ぬまでの暇潰しにすぎない。俺は、そんなことに他人を巻き込むなって言いたいけどね。

こういうことを言うと、すぐに日本人というのは「微力でもせめて…」みたいな浪花節を口にするわけだけど、俺は無能が大学教員をやってるのは、微力どころか(いつも言うようだけど)ゼロ加算あるいは1以下の掛け算だって言ってるんだよね。確かに、空気を読まない勇気だの、小平の高速道路でスピノザを読む会だの、ともかくそういうのは目に見えて有害ではないから、0.99999 くらいを掛けてるだけで大した影響はないように本人たちからも見える。そして、そういうのが蓄積されていって何が起きようとも、その間にたいていの人間は死ぬわけだから、0.992 くらいの時点で親になって子供に馬鹿げたことを教えたりしつけても、子供だってせいぜい 0.9901 くらいで親と同じようなことをやって少しずつ馬鹿になっていくだけだから、あんまり気づかない。さらに、実際には大半の家系なんて(少子化であろうとなかろうと色々な原因や人間関係の事情で)5代も続かないと言われてるようだし、家系での蓄積を集計したところで先祖から1割も馬鹿になってないなら、さほど深刻な自覚もない。

でも、人は家族だけじゃなくて他人にも影響を与える。その最も確実な影響関係が、教師と生徒だし、物書きと読者であろう。

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