Scribble at 2026-10-25 19:11:05 Last modified: 2026-10-25 19:15:12
『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』のネタでもう一つだけ書いておくと、論説でも書いているように、日本だけに限らず世界的に見ても、アニメや漫画の評論というものは、いまだに未成熟な段階にとどまっている。確かに、大学でアニメや漫画を教えるようになったほどの時代にはなったが、せいぜい芸大で教えるのが、いまでも限界であろう。しかも、そこを出てまともな研究者や評論家、あるいはアニメーターや漫画家といった実務家になった人がどれほどいるのかという成果を鑑みるに、まだまだ研究分野としても教育スキームとしても未熟だと言わざるをえない。
もちろん、その理由は明確だ。第一に、なんだかんだ言っても現実の成果物としての歴史が浅いからだ。萌芽的な作品にまで遡るとしても、日本ではせいぜい明治時代が限度であろう。それ以前の絵巻物や風刺画といったものを含めてもよいが、分析や解釈の手法は相当に異なるものを適用しなければいけない。やはり一般的なイメージとしての「漫画」ということになると、1896年に田口米作が『團團珍聞』に連載を始めた『江の島鎌倉長短旅行』を最初期と考えるのが妥当であり、そうすると130年ほどの歴史ということになる。研究のベースになる成果の積み上げとしては、いかにも浅いということになる。従来の西洋画とか西洋音楽、あるいは物理学や哲学のような分野に比べたら、つい昨日から始めたような分野だと言っていい。
そして第二に、アニメや漫画に携わっている人々自身が研究の対象として見做してこなかったという事情もある。たとえば、昔から多くの人たちが知っているように、大学には「漫研」(漫画研究会)なるサークルがあって、そこの出身である漫画家も多いということは知られている。でも、漫研出身の漫画家は多くいるが、漫研出身で個人的にも漫画を研究して成果としての研究書を出している人物なんて、僕は聞いたことがない。夏目房之介氏であっても、個人的にやってきて漫画研究の本を出版し、それから学習院の教員になったのだから、研究者として出発したわけではなく、そういう意味では新聞記者が名誉職的に大学の客員教授になるようなものである。つまり、大学の漫研というのは漫画についてあれこれと喋っているだけの連中であって、研究もしてなければ評論すらしていないと言わざるをえない。ただ単に部室で漫画を読んでお喋りしているだけだ。
このようなわけなので、『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』について参考になるページを調べたときでも、およそまともな分量で議論しているページは皆無だった。感想文を、アフィリエイトのゴミみたいな広告を挟みながら書いているガキはいっぱいいるし、ネタバレだのあらすじだのとアクセス集めにしか興味がない「ストーリーテラー馬鹿」もたくさんいるわけだが、こんなものがどれほど増えても知性の発展に寄与するどころか、僕らの感受性や心に届くような言葉は一つも増えないわけである。「ウェブ・スフィア」などという馬鹿げた言葉が流行したのはずいぶんと前のことだが、既にご承知のとおり、インターネットの黎明期から公開されてきた膨大な数のツイートだとかブログ記事やフォーラムのコメントといったものを読んで文芸作家として大成したとか、学術研究者として業績を打ち立てた人なんて、世界中で一人もいない。いわゆるテキスト・サイトだとか、当サイトのような論説を掲載している個人サイトの文章を読んでいる人々ならいるかもしれないが、刹那的で短絡的な短い表現をどれだけ積み上げても、そこには何の成果も生まれないのである。僕は、こういう短絡的な感想や意見の積み上げが集合知になるなんて、最初から信じていない。
僕が、当サイトで論説を公開することに拘っている理由は、そういうものであることを自覚して、少なくとも役に立てる人の参考になるようなコンテンツを提供したいと思っているからだ。僕自身が、デザイナーやエンジニアとして、こういうコンテンツを読んで参考にしてきたという経験からも言っている(正直、科学哲学者としては参考になるコンテンツは殆どなかった。せいぜい、伊勢田さんのブログ記事や舟橋さんのファン・フラッセンの解説くらいだ)。