Scribble at 2026-08-24 07:02:31 Last modified: 2026-08-25 07:04:25

添付画像

Read as much as you can. Read widely and well.

The Golden Rule for Becoming a Better Writer

既にご承知かと思うが、僕は多くの話題を Hacker News の投稿(あるいは、それを翻案した GIGAZINE の記事)から得ている。でも、僕の主旨(趣旨もだが)は話題を紹介することではなく、その話題について自分の意見や議論を展開することにあるので、Hacker News から知った話題であっても Hacker News のスレッドではなく、そこで話題になっている記事やページへ直にリンクすることがある。なので、僕が自力で見つけた記事というわけではないから、そういう意味での苦労とか見識については過大評価しないでもらいたい。ただし、Hacker News の投稿から自分でスレッドの議論やソースとなっている記事を読んで選んでいるということについては、過小評価されるのも困る。

さて、ここでの話題は上の引用だけで足りるかもしれないが、こういう話は色々なところで応用できる。何が「良い文章」なり「的確な表現」であるかを、それらの実例(として参考になると自分が感じるもの)を他人の著作物から見聞きする経験なくして、自分のもつ語彙や言語能力だけで何か素晴らしい表現や著作を生み出せるという魔法などヒトの認知能力には備わっていないし、言語学としてもそんな魔術は存在しない。端的に言って、それは創造力やクリエーティブというものについての錯覚であり、未熟で思慮も浅く、芸術や光学や生理学の勉強もしていない愚者に限って、その手の身勝手なクリエーティブ論を広告代理店の社内や大企業などの企画部連中が集まる茶話会や官公庁が主催する会合などで他人に撒き散らすものである。

あるいは別の例で言うと、良い翻訳家というものはそれだけ多くの母国語の著作物も読んでいる。これは大学の英文科に行くような学生ですら分かっていない者が多くて、関西大学の大学院へ在籍していたときも、英文科や独文科などで学ぶ人たちとの会話で困惑させられることがよくあった(とりあえず自慢話で恐縮だが、僕が関大の大学院を受験したときの英語の成績は、英文科などを志望する人も含めて文学研究科の受験生全体のトップだったらしい。なので、その時点では英文科の学生よりも少しは英語ができたわけだ)。たとえば、自分がロシア語の文章を読んで、ロシア語で生きている者として考え、自分の意見を言うというなら、日本語の知見や語彙は大して必要としないのであろう。でも、日本で生きていて日本語でロシアの文学を議論したり説明することが自分の仕事であったり役割であるというなら、どう考えても日本語の習得や語彙を軽んじていいはずがない。したがって、日本で日本語として表現することが前提でロシア語を学ぶなら、たとえば露和辞典をもつことは当然であり、どれほどロシア語に堪能となっても、それを日本語でどう表現するかという発想や能力がおろそかになってはいけないのである。したがって、僕らのように英語で簡単な文章を読み書きできるていどの素養をもっている者であっても、それを日本において日本語で誰かに伝えたり表現する必要がある限り、英英辞典だけで英語を学んでいればいいわけでもなく、英語の勉強だけしていればいいわけでもない。なので、英語の勉強として Longman や Oxford の英英辞典を使うことは一つのアイデアとしてお勧めできるけれど、「だから英和辞典は不要である」という話にはならない。そういう無暗に愚かなことを言う人間に限って、心の中では「英英辞典を使ってる僕ちゃんって、カッコいい国際人じゃん?」みたいな自意識でしかものを考えていないものだ。恥ずかしい。

そして、このような話題においても昨今は生成 AI に言及せざるをえないわけだが、もちろん生成 AI は膨大な分量のデータを学習していて、まさしく手本となる表現の特徴を学ぶことなくして新しいテキスト情報を(あくまでも確率としてだが)生み出すことはできないわけである。確かにヒトは、文学者や翻訳家であっても実際に読んでいる文章の量は生成 AI の学習量に比べれば遥かに少ないであろうが、だからといって、先の段落で述べたように読まなくても自分自身の創造力だけで何かを生み出せるなどというファンタジーは、素人の妄想にすぎない。子供の作文がどれほど情緒的に愛らしいものであっても、言語学的には凡庸で未熟なテキストでしかないのと同じである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る