2017年06月20日09時14分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-06-20 09:37:41

事の是非や善悪という人としての理解なり判断が条件によって変わるということは、その条件が分からないうちは断定できないということだ。これは「本当の善悪なんてない」とか「人生いろいろ」などという屁理屈とは別のことなのだけど、まずもってこれらを区別できない人がいるのは何故なのか。よく、何かの区別(あるいは「線引き」などという視覚的描写を好む人もいるが)について、「グレーゾーン」という visual toy(僕はこれは視覚に頼った悪い比喩だと思う)を持ち出す人がいる。そして、その手の概念的な玩具を弄んでいるうちに、全てがグレーであるかのような議論を始める。こんなのは「相対主義」とすら言えないのではないか。

[このあと数行に渡って書いていたのだが、入力した内容を更新しないでページを閉じてしまったらしく、改めて読み返したときにはすっかり追記した内容が消えてしまっていた。よく「グレーゾーン」とも言うし、科学哲学では "demarcation" すなわち「線引き」とも言う。語源では "mark" というスペルが含まれているとおり、スペインとポルトガルの間で領土の境界に印を付けるという意味だったようだけど、こういう追記した内容について、これ以上は何を書いたのか覚えていない。]

学術分野でも "region" という言葉は使うのだけど、あたかも用語とか論点とかテーマを語る言葉の入れ物という、図像的と言ってもいい理解が妥当なのかという反省を見た試しがない。そういう反省の上にやってるのかどうか分からないんだよね。マンガとかイラストとか図表を使って哲学の通俗本とか書いてる人たちは。そちらがお金にもならず、読者層と見做されている人々の興味も引きそうにないなら、思う所を無料で公開する方法はどこにでもあるけどね。

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Google+ Twitter Facebook