2017年05月11日16時59分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-05-12 13:00:40

ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは

添付されている山形さんの文章は、色々と興味深いので一読をおすすめする。ジェイコブズや都市設計に関心がなくても、彼の論旨は分かるはずだ。「有益な強いアマチュアを育てるには、柔軟で強い専門家を育てることが重要ということになる」。山形さんは、ときどき科学哲学をこき下ろすのだけど、恐らく彼の科学哲学嫌いは単なる他部門からの批評を受け付けないようなたぐいの、純血主義みたいな哲学嫌いとは違うのだろう。確かに不勉強なだけの素人の意見は邪魔なだけだが、彼は専門外からのアプローチを拒否しているわけではない。

専門外からのアプローチにも意味があるという哲学の弁明みたいな議論は、昨今の流行とも言って良い「人文叩き」に対応して色々な仕方で語られているが、僕も当サイトで書いているように(そして我らが日本科学哲学会会長である戸田山さんも『哲学入門』で書いたように)、それら専門外からのアプローチを有効に活用するのは専門家の自由だし(だから「科学哲学なんてナンセンス」だと言う人がいても全く問題はないし、ファインマンのような哲学嫌いの俗物だって、岩波の編集者とか国内の読書家を始めとする高尚な方々は大好きだ)、活用できるかどうかは彼らの責任においてやるべきだ。哲学者が科学者にも分かるようにものを書く義務などないし、ましてやアマチュアが専門家に分かるようにものを書くというのは倒錯であろう。しかしその逆が正しいわけではなく、好き勝手な造語でものを語る「自称天才思想家」のアマチュアというのは、客観的にはバカでしかありえないのだ。アマチュアというものは、よほどのオリジナルな思想でも持っていない限りは専門家に通じるか多くの素人にも通じるような書き方しかできないに決まっているし、そう書けない人間は、学術や思想を語る以前に人としての社会適合力がないと言わざるをえない。それを「哲学者」や「思想家」の自己イメージであるかのように思い込んでいるのは、それこそ漫画の読みすぎである。

きちんと自らの限界を弁えたアマチュアの成果を、きちんと専門家が活用できる状況を維持する(すぐに望ましい成果が生じるとは限らず、これは制度として維持するべきことだろう。これは、愚かな大学生や経済界の些末な不平不満を毅然と無視して高等教育研究機関を維持するべき一つの理由でもありうる)ことが望ましいという点で、僕は山形さんに全く異論はない。そして、このようなアマチュアと専門家の関係が望まれる分野は、もちろん僕が実務家として携わっている情報理論や通信やセキュリティや暗号論にも言える。神戸大の後輩も含まれるから言い難いが、哲学プロパーによるリスク論とかセキュリティとか情報の哲学の通俗的な文章を見かけると(いや専門的な文献ですら多くの場合に)、実務家として失望することはあるし、それどころか哲学者としても底の浅い議論を読まされてウンザリすることだってある。もちろんそれは、実務家の評価も一つのアマチュアの議論として退けた末に、専門家の観点では評価して良い議論なのかもしれないから、山形さんのモデルには、アマチュアと専門家に加えて「実務家」という要素も加えた方がよいのかもしれない(あと「メディア」とか)。

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