2017年05月12日12時55分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-05-12 12:55:03

水槽に浸かってる脳味噌とか、奇妙な育ち方をした生理学者とか、あるいは単にゾンビとか、その手の「分かりやすさ」から入ると、たいてい哲学の勉強というものは挫折します。それは、そんなオモチャをどれだけ弄くり回したところで、他人が議論していることが分かりやすくなるというだけでしかなく、それはその人自身の問題意識とは無関係な「例題演習」をやっているにすぎないので、結局そんなことを何年続けようと、海外で流行ってる話題についてのお喋りがうまくなるだけのことでしかないからです。そして、そういうことに気づかずに大学教員となって、ファッショナブルなお喋りや勘違いの社会貢献をしている人々はたくさんいます。

出来合いの論点からなる教科書的な見取り図に自分の関心を無理やり作り出して押し込めるようなことを、「問題意識が足りない」といって学生に要求するのは全くのデタラメなやり方だと思います。もちろん、何かが無から生じるとかオカルトを言っているわけでもなければ、ひとりひとりの関心がオリジナルで既存の枠組みでは測れないなどとセンチメンタルなことを言っているわけでもありません。そうした大学教育や教員の活動を、単なるアカデミズムへのルサンチマンで書いているのは、同じアマチュアでもただの無能です。僕が言いたいのは、彼ら学生や初心者の関心を、既にある議論の枠組みに布置させることから始めるのは、単に自分が当否を評価しやすいからでしかなく、彼ら自身にとってそうしなくてはいけないという必然性はありません。もちろん、そういう理不尽なことでもやらなきゃいけないのが、大学で飯を食ってるサラリーマンだと彼らに教えたいなら構いませんが。

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