Scribble at 2024-03-22 12:55:18 Last modified: 2024-03-22 13:27:43

僕は昔から間違った考え方だと思っているのだが、考古学には色々な過去の経緯があって、「方法論的分離主義」とか「方法論的独立主義」というのがある。

幾つかの意味合いがからんでいるのだけれど、いま述べた「過去の経緯」というのは、たとえば考古学は太平洋戦争の最中には、天皇陵を研究するとか、あるいは古事記や日本書紀の天皇について色々なことを論じるという「不敬」な行いは封じられたり牽制されていたため、ほぼ弥生時代後期から古墳時代、そして律令制以降についても研究が進展しなかったし、敢えてその時代の研究を避ける人も多かった。小林行雄氏の『古墳の話』という岩波新書が1959年に書かれていて、それは敗戦から15年近くが経過している時点で出版されたにも関わらず、冒頭には古墳時代の研究者は数人しかいないなどと書かれている。もちろん、これは一定の専門性や業績の数で彼が認めた人数であるから、実態よりも過小評価されているのであるが、それほど古墳時代の研究というのは停滞してしまった時期がある。しかし、だからといって昨今の「古墳ブーム」が何か逆の学術的な好景気をもたらしているかと言えば、実際にはそんなことは殆ど無い。各地の大学では文学部の研究学科が縮小されたり廃止されているし、各都道府県の埋蔵文化財にかかる調査予算は減るばかりで、ほぼ地元の土木業者に丸投げというところも多くなってきていて、それゆえに専門性や技術力の高い業者もあるにはあるが、中には素人まがいの杜撰な調査や測量をやっている事例もあるようだ。森浩一先生は、そういう実態を眺めていたからこそ、僕には過剰とも言える発掘業者嫌いになったのであろう。そういうわけで、考古学で言う分離主義とか独立主義という言葉の一つのニュアンスは、明らかに権力からの独立という政治的な内容をもっている。

そして、他にも(或る意味でこれも比喩として「政治的」と言いうるが)歴史学や文献史学からの独立というニュアンスがある。これは、長らく考古学が歴史学の理屈を証拠立てるための下支えというか、物的な証拠固めのための下働きのように捉えられてきた経緯があるからだ。よって、歴史学や古文書学の人々から軽んじられたり馬鹿にされたという個人的な経験をもっていたりする考古学者の中には、やはり過剰に考古学の独立性を主張するあまり、たとえば考古学にむやみやたらと「科学」を取り入れようと躍起になって、コンピュータを使った古墳の測量データの解析とか、それから地形図の解析を使って邪馬台国の位置を推定するとか、あるいは遺跡や古墳からの遺物なり副葬品についての観察を怠って無闇に成分のスペクトル解析にばかり熱中するといった人々がたくさん出てきた。正確にどういう成果や利点があるのか不明な、「宇宙考古学」とか「地磁気考古学」とか「コンピュータ考古学」などというものが、それこそ僕が中学生の頃からあったけれど、それから40年くらいが経過しているのに、殆どまともな業績などない。国土地理院の地図を見れば誰でも分かるようなことを解析したとか(いちおう僕も、地図の折り方から読み方まで、学校の地理だけでなく考古学の先生からも鍛えられている)、あるいは中学時代からプログラミングもやっていた僕から見ても下らないデータベースをちからずくで作っては業績であるかのようなフリをしたり(これは国家官僚や地方の役人がよくやるパフォーマンスが)、どうしようもないことを続けている。

しかし、それは研究対象に見合った調べ方や考え方があるという当たり前のことを言っているにすぎないのであって、或る対象が歴史学の資料にもなれば考古学の資料にもなるという点を無視した、ほとんどセクト主義と言って良いようなものである。たとえば、古文書一つをとっても、文献としての資料であることは言うまでもないが、使われている紙や墨の化学的な特性だとか製法の特徴から生産地などが分かるかどうかは考古学の資料になりうる。あるいは、あたりまえのことだが6世紀を研究するのに文献史学だけで言えることと考古学だけで言えることには限界があり、われわれが6世紀という「時代」について知りたいと思うことを両方とも十分には説明し尽くせないのは当たり前であって、歴史学というものはそれらを正確かつ妥当な範囲で総合した説明をするのが、アウトリーチというだけでなく歴史学という学問に期待される業績として責務ですらあろう。個々の論点や対象について異なる方法が必要だからといって、考古学者が文献を扱って悪いわけがないし、文献史学の研究者が古墳を調べて悪いわけがないのである。

そして、これらどちらの意味でも、やはり背景に見え隠れするのが「左翼」や「民主主義」だ。実際、1980年代くらいまでの考古学の書籍には、「階級闘争」だの「上部構造」だの「生産関係」だのという左翼用語がいくらでも出てくる。そして、皮肉なことに、『赤旗』などによく寄稿していたはずの森浩一先生の著作には殆ど出てこないのである。それはそのはずで、森先生は戦前だろうと戦後だろうと一貫して古墳時代の調査や研究を続けていたし、それどころか「仁徳陵」のような呼称をやめて「大仙古墳」と呼ぶべきだとか、宮内庁に陵墓として比定している古墳の調査を要求してきたのだから、戦後になって自由にものが言えるようになったからといって、たちまち流行に乗って左翼用語を振り回し、「考古学に民主主義を!」とか「市民のための考古学」などと叫ぶ必要はなかったわけである。

ということで、僕はそれこそ森先生や弟子の瀬川芳則先生から、考古学の勉強や研究をすすめていくなら自然科学のアプローチや文化人類学などを学ぶように勧められたことがあるけれど、それはここまで述べてきたような分離主義に反対する趣旨ではなく、必要に応じて必要とされる知見を得ておくべきだという当たり前のスタンスを教えられただけなのである。よって、森先生の「古代学」というテーマは、しばしば文献史学と考古学の折衷だとかアマルガムだとか各分野の成果を乱用して他の分野に当てはめていると罵られたりすることもあるが、それは誤解である。

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