Scribble at 2024-03-18 12:07:33 Last modified: 2024-03-21 16:51:15

考古学では、もちろん他の学科でも似たようなことはあるわけだが、用語の扱い方一つで「敵認定」されるということがあって、特に日本の考古学ではその手の学閥が昔から酷い。それ以外にも、個々の論点で対立なり論争があり、僕がいま取り組んでいる6世紀を中心に造営された古墳についても、たとえば用語法で対立がある。それは、「群集墳」という用語である。

簡単に言えば、群集墳とは狭い区画にれを為してまったように造営された古ということなので、外形的に似たような状況にある墳墓の一群について無条件に使ってよければ、たとえば四世紀の古墳の一群についても使える。しかし或る立場によると、群集墳は前方後円墳の大規模な造営が終わった5世紀の末から後にトレンドとして普及した古墳の造営方式のことだとしている。したがって、このような立場では「4世紀の群集墳」という表現は間違いであり、群集墳という用語を外形的な点だけで他の時代に当てはめた時代錯誤だという話になる。また、それらの折衷として、5世紀以前に集まって造営された古墳の一群を「古式群集墳」などと呼ぶ場合もあるが、これも事態を混乱させるものでしかないと評価される。

僕がサイトを制作している山畑古墳群は、ちょうどそういう狭い意味での古墳群にあたる6世紀の中頃から7世紀の初頭に至る時代に造営された古墳の一群であるから、どちらの定義であろうと構わないわけだが、学説なり定義としてどちらが妥当であるかと問われるなら、「群集墳」という言葉だけでは特定の時代や政治的な脈絡を表現するには不足があると思うので、他の時代、極端に言えば現代の墓地についてすら使うことを抑制できるとは思えない。政治的な脈絡などを墳墓の造営状況によって語り、その言葉に反映させたいのであれば、それに見合った用語を「古墳時代後期首長墓群」などと作るべきである。そして、時代錯誤を避けるという目的で使い分けをするほうがよいというのであれば、群集墳という言葉を外形的に小規模の古墳が集まっているという意味だけで使っている人々も、「4世紀の群集墳」などと断って使えばいいだろう。(この他、たとえば近藤義郎氏は「横穴式石室墓群」という表現を使っている。ただし、岩波文庫版の『前方後円墳の時代』では、なぜか439, 446ページでだけ「群集墳」という言い方をしているのが奇妙な印象を受ける。)

正直、このようなことは学問としての進展に資するような論点ではなく、はっきり言って言葉の問題でしかない(もちろん、言葉にはしかるべき意味が固着していてどうのこうのというクオリア信仰の人物もいるわけだが)。実務レベルで幾らでも整理したり解決できることに、何か学問的な対立であるかのような思い込みや敵愾心を持ち続けるのは愚かという他にない。かつての邪馬台国ブームのような馬鹿騒ぎだけでなく、こうした下らない事実も、僕が考古学者を志すのをやめてしまった一因がある。こうした人間関係も含めた凡人の集団的な愚行というものは、考古学少年一人がプロパーになったところでどうにかできる問題ではないからだ。

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