Scribble at 2024-03-17 08:49:22 Last modified: 2024-03-17 17:41:20

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いま古本のサイトでは手頃な価格になっていて、安い店だと1,000円もしない、或る種の投げ売り状態となっている。六法全書のように頻繁な改定が必要とされる書籍の場合はともかく、こういう基本的な資料として使える、なかなか新規で編纂もされないし改訂もされない事典の類は貴重であるから、安く買えるときに買うのが良い。

ただ、学術研究の実務というに及ばず、そもそも事典類の扱い方を知らないか、あまり自分なりの活用方法を考えたこともない人が、単に総覧的な知識が得られると妄想したり、あるいは何か decisive で determinative なことが書かれているかのように過度の期待をもって購入しても、事典とはそのようなものではない。僕は自宅で両親が謄写版の仕事をしていた幼児期に放ったらかしにされていた事情もあって、自宅にあった小学館の百科事典や保育社の植物図鑑などを眺めて過ごすような暮らしをしていたのだが、それは何も神童自慢みたいなクズ話ではなく、事典というものを詳しく読んで慣れ親しむと、結局のところ事典ですら不正確で曖昧に書かれていることが分かるし、情報量としても不足していることが分かってくる。それでも、不十分だったり曖昧な理解の仕方ではあっても、それぞれの事項がどう結びついているかが想像しやすくなったりするし、一つの分野についての雑ではあっても見通しを得るという効用がある。つまり、事典の効用とは事典に書かれていることを読んで納得するというよりも、事典に書かれているだけの内容では足りないから、さて更にすすんで調べたり学ぶにはどうすればいいかを知るためのオリエンテーションだと言った方がいい。

そして、上記で紹介している遺跡の情報を集めた事典も、当たり前だが個々の遺跡については正式な発掘調査報告書が最も詳しいのであるから、次の手順を追うための足がかりとなるような著作物であって、このような本に何かの「解答」や「歴史の真実」などが記載されているわけではない。ただ、素人やアマチュアの歴史好きにそういう手ほどきをしてくれる人なんていないわけだし、老人ともなるとつまらないプライドもあれば、実はたいてい人の話を真面目に聴いていないという事情もあって、そういう人々が軽薄な動機でこういうものを求めても、即座に手放すのが関の山というものであろう。よって、古本のサイトに数多くの出品が並び、もともとは13,200円という価格の本が800円などという値段でしか売れなくなっているという酷い状況となる。僕のように、学術研究の基本的な手ほどきを受けた(言っておくが、科学哲学ではなく考古学や古代史の話だ)者からすれば、こういう値段で手に入るのは非常にありがたいことなのだが、出版物が世の中でどう活用されているかという点で考えると、あまり喜ばしいことでもない。

ついでに書いておくと、本書は平成7年 (1995) の刊行である。既に30年近くが経過しているため、当たり前だが刊行されてから後に発掘された遺跡の新しい情報は記載されていないし、記載されている内容で修正すべき事実が判明しても反映されていない。もちろん、これはあらゆる出版物について言えることかもしれないから、わざわざ言うまでもないことかもしれないが、事典や辞書については、やたらと「新しいものほどいい」と言う人がいるので、少し注釈しておこう。

不足している情報は、こういう出版物の場合は自分で補うのが当然である。よって、学術研究者だと、こうした事典類には付箋だとか余白への書き込みなどで補充していることが多々ある。現在なら電子書籍を利用している方も多いだろうから、PDF にコメントを追加することなど簡単だし、余白を気にせず同じ箇所や項目について幾らでも追記できるのが便利だ。ただし、事典類ともなると PDF で 100MB を超えるファイル・サイズともなるため、スマートフォンや安物のタブレットでは扱えなくなる可能性がある。そもそも「開けない」という状況に陥るわけなので、そこは注意したい。

それから、学術研究で使う事典類は何種類も出版されたりしないし(いまだに「科学哲学事典」なんて日本では出ていないし、たぶん愚劣な物書きが新書サイズで出す可能性はあるが、学術研究のツールとして使い物になるような著作物は出ないだろう)、大部の定番と言ってもいい事典が一つあれば、それに手を入れていけばよい。英和辞典のように「なるべく新しいものを買うべきだ」などとは言えないからである。なお、英和辞典についても、一概にそういうことが言えない場合もある。なぜなら、最新の版で編集方針を変更していたり、印刷用の版下を作り直すといった経緯で、過去の版にはなかった新しい誤植が生じる可能性もあるからだ。そして、新しい版で改められた語釈の方が正しいとか的確だとも限らないのである。もちろん、だからといって古い事典や辞書を使い続けていても良いと言っているわけではない。たとえば、僕は平凡社から出ていた『哲学辞典』を長らく愛用していたのだが、内容に差別的なニュアンスが多々あると指摘されてからは使っていない。例文を呑気に読んでいると、無自覚なまま刷り込みが起きるため、少しでもリスクがある著作物は遠ざける方がよい。僕は、保守思想の人間としては違和感をもたれるかもしれないが、キャンセル・カルチャーの支持者である(大多数のインチキな保守や右翼は、実は思想なんて関係のない単なるヘイト・スピーチの放言者にすぎないので、キャンセル・カルチャーに否定的な者が多い。「なら、おまえも放言家だから同じじゃないか」などと思うかもしれないが、僕は無能だと思う連中を無能と言い、通俗的な本ばかり書いている小平の英雄や立命館のブ男や元役人だのゲーム作家だの長野に別荘を買ったという連中を哲学者としてのスタンスで罵っているだけだ。差別などしていない)。

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