Scribble at 2026-01-29 08:16:53 Last modified: unmodified

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「勉強」とか「研究」と言っても、テーマだとか分野によっても色々と適したやり方があるだろうし、人によってもスタイルに違いがある。もちろん、手持ちの道具とか生活環境によっても左右される(もちろん共働きで子供を育てながら哲学の教員をやってる人だっているわけだ)ので、一概にこれが良いの悪いの理想だの現実だのという話をしたって仕方がない場合も多々ある。極端なことを言えば、タブレット1台であらゆる出版社やジャーナルのサイトへアクセスできて、ダウンロードした書籍は全てクラウド・ストレージに入ってるし、原稿もタブレットのアプリケーションで作成しているなんて人もいると思う。方や、良し悪しは議論しないが、いまでも学会へ投稿する原稿を、まずは原稿用紙に筆ペンで丁寧に清書してから、奥さんか娘さんか OD の(女子)学生にタイプしてもらうなんていう人もいるかもしれない。なんでああいう作業って、謝辞とかを見てると令和の現代ですら女の人ばっかなんだろうね。正直、こういうことに胡散臭さを覚えるのは、なにもフェミニストの自意識がある人だけじゃなくて、僕らのような保守の人間でもおかしいとは思うんだよ。だって、そんなもん「伝統」でないのはもちろん、ましてや「女性や妻の美徳」なんてもんじゃないのは明らかなわけだし。

そういうわけで、上のようなノートの写真を示して自分の勉強方法をご紹介するというのは、或る意味では無意味なことかもしれないし、ただたんに興味本位な方々の好奇心を満足させるだけになることも多い(そういう連中って、それを知ったからといって自分で試すどころか勉強を始めようとすらしないわけでさ。意欲のない人間や無能が喜んだって社会は 1mm も良くならない。俺は、そんなことのために giver なんていうソーシャル・メディアの「芸人」になるつもりはないね)。なので、こういうのこそ自意識プレイであることが多くて、自分でも話題にするのはどうかと思うのだけど、いちおう MD などで宣言しているとおり、東大阪市の山畑古墳群のサイトを作るために基礎的な勉強や調査は続けてるよというご報告も兼ねてご覧いただいている。

ここ最近、というか20年くらい続けているのだが、僕のノートの取り方の傾向としては、新書や文庫などの読書ノートは両面に書いているけれど、教科書など体系的な内容の本をベースに勉強するときは片面にだけ書いていって、補足したい内容を裏面に追加するという方針を採用している。或る分野の体系的な知識を得ようとするときは、もちろん複数の教科書に目を通しており、別のテキストには別のことが書いてあるし、ときとして論争的な反対の内容が書いてあることもあるからだ。主従をどちらにするかは、もちろん初学者が初学者の知見という範囲であらかじめ知ったり決められるものではないから、これは全くの勘でしかない。それに、どの教科書を基準に始めるべきかを決めるために何かを考えたり勉強するような時間があるくらいなら、さっさとなんでもいいから通読してノートをとるべきだというのが、ジャンルを問わず僕の方針だし(これも「いつやるか? 今でしょう!」の一種だ)、いわゆる「速読」の種明かしと同じで、それまでに積み上げた情報とか知見が増えたら、あるていどはスタンダードな本として妥当な範囲に収まるものを即座に選べるようになるものだと思う。いわゆる「鼻が利くようになる」というやつだ。

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