Scribble at 2025-10-19 18:32:22 Last modified: 2025-10-20 07:46:15
廣井良典氏が「科学哲学者」を自称しているのを、或る意味では生暖かく眺めている人もいるだろうとは思うのだが、必ずしも医療や福祉のような分野が科学哲学の研究テーマとしてマイナーなわけでもなければ、ましてや不当というわけでもないのは確かだろう。修士の学生でも聞いたことがあるとは思うが、いまだに科学哲学のケース・スタディとして圧倒的に物理学の話題が多いのはどうしてなのかを、複数人で真面目に議論した成果を公にした事例はないはずだ。いや、いまでは「圧倒的」とは言えなくなっているのかもしれないが、それでも進化論だとか大掴みに取り上げられやすい話題が偏っている印象はあるはずだ。ベルの不等式を議論した論文のほうが、テルツァーギの支持力公式(知らない人に説明しておくと、土質力学の基本的な公式だ)を議論した論文よりも圧倒的に多いし、いまでもそうだろう。
あるいは、ドイツ語の die Wissenschaft やフランス語の l'épistème(それはそうと、なんで日本で文章を書く人たちって、ドイツ語やフランス語の語句に言及するときでも冠詞を付けないのだろう。こういうのが、外国語を根本的に舐めてるか英語しか眼中にない証拠だよね。ていうか、僕も偉そうなことは言えないけれど、たいていの日本人なんて英語の冠詞の正確な使い方すら知らんだろう)が示唆しているように、自然科学や物理科学の範囲でテーマを選択していてすら偏っているわけで、ローゼンバーグの教科書で社会科学に言及しているていどのことで感心するなんてのは非常に見識の狭い話だよね。いや、サモン(奥さんの方)の教科書を読んでたら、そんなの30年前からおかしいと思ってないといけないんだけど、相変わらず何度も言うように、自分が学んでいることを自分自身の理解や研究や教育の話として apply する力のない人間が、他人を教育するとか他人に教科書や一般向けの本を書くなんてのは、傲慢もいいところなんだよね。
で、たとえば「作業療法の科学哲学」だって全く何の問題もなく展開していいはずなのだ。なにも、きみらのように「分析哲学者」を名乗る都内のインチキ左翼しか社会保障を扱ってはいけないわけでもなかろう。そういうわけで、父親が福祉用具を使い始めたのをきっかけに、生活するうえでの色々な動作を「作業」というリハビリの観点で扱っている作業療法に関心をもったというわけである。そして、作業療法のかなり体系的と思われる著作物を古本で手に入れてみると、上にご紹介している本は900ページもあるのだが、体系的な概説ではなく、法令から実務まで広範な話題をカバーしてはいるが、基本的にアンソロジーであった。読んでゆくと、やれブーバーの『我と汝』だのプラトンだのという話が適当に出てくるし、もちろん医療系の哲学的な議論をしている廣井良典氏も囲み記事でプロフィールが紹介されている(ただし政治学者という扱いだ)。