Scribble at 2025-09-02 09:38:53 Last modified: 2025-09-02 19:09:16
そもそも、僕らはなんにも分からないまま死ぬ。それは、子供が尋ねるような問い、たとえば宇宙や地球が将来はどうなるのかとか、人類はどのていど存続するだろうかとか、いやそれどころかたいていの人は、自分がいつ死ぬのかすら知らないまま死ぬ。分かっていると信じていることの多くも、ただの思いこみだったりするかもしれないが、仮にそうだとしても質す機会や動機がないとか、質すための更に多くの情報だとか体系的な知識をもっていなかったりするかもしれない。それから、みなさんが手にしているスマートフォンについても、その個々の部品の動作原理を修士レベルの工学として理解しているかどうかすら、怪しいものだろう。
もちろんだが、いま人類が手にしている情報や知識の範囲についてすら、僕らはそれらの全てを学んだり記憶することはできない。そもそも、「人類が手にしている情報や知識」を確定するための判断基準すらもっていないのだから、それがどの範囲の情報や知識であるのかを決めることすらできないだろう。そして、それを決めるために必要な更に多くの情報なり知識なり、あるいは概念なり理論については、いまだ見出されていないとあっては、限界というものがあるのだ。そして、過去の情報なり事実が分からなければ決められないようなことについては、失われた事跡は復元不能であろうから、決して知り得ないことがあると認めなくてはいけない。
したがって、事実なり情報を積み上げることでしか分からないか確定できない事柄については、限界がある。状態記述(余談だが、多くの人が Aufbau に現れる用語だと誤解しているらしい。実際には『意味論序説』に出てくるし、その定義もかなり異なる。世界のあらゆる情報を一斉にまとめたスナップショットのような意味ではないが、どういうわけかこういう誤解の方が広まってしまっている)のようなものは一つのファンタジーにほかならず、そんなものを人類が具体的に実現する可能性はない。仮に1立方メートルの中に「ある」と想定できる全ての原子や分子の状態を、或る時刻においてスナップ・ショットのように測定し記録するという状況を考えるだけでも、そこには技術的な困難や限界だけではなく、そもそも物理的な限界や制約があるので(立方区画の中央付近にある原子の運動状態を測定するために、そこまでのあいだに他の原子や分子へ何の干渉もせずに電磁波を送る方法はない。加えて不確定性原理によって、位置か運動量のどちらかしか正確に分からない)、そんな記述はそもそもできないのだ。では、そういうファンタジーを想定してまで何か有益なことを考えたり言えるのか。いまのところ、こういうアイデアを引き継いで書かれたチャルマーズの大部の本ですら、哲学研究者のコミュニティに殆どインパクトを与えていないように思われる。そういう状況だけで言うなら、この喩え話も分析哲学者が大好きな SF 小話(色盲科学者や雷に打たれた親父や水槽に浸かってる脳みそやゾンビに関わるあれこれなど)と変わらないのかもしれない。
ただ、こう書いてきたからといって、ただちに(何らかの脈絡で言う)構成主義を支持しようとしているわけではない。僕は、かつて法社会学の研究者を(数ヶ月だが)志望したこともあった者として言うのだが、とりわけ「社会」という観念に何でもかんでも回収しようとする人々の思考には、危険なものを感じる(もちろん、そういう人々は決まって社会学の素養なんてない連中なのだが)。