Scribble at 2025-04-20 12:09:46 Last modified: 2025-04-20 12:12:04
当サイトでは素人死生学みたいな議論を公表しているわけだが、もう少し丁寧に基礎から議論する必要も感じる。たとえば、そもそも生死の違いや区別はどこにあるのかという課題をクリアにしないまま、生きていることを過大に評価したり、死んでいることや死ぬことを過大に評価していれば、そら死ぬのは怖いのが当然だろうという話になる。
当然だが、生と死には考えているほどの隔絶した違いがないとか、考えようによっては生と死が区別できない場合もあるという議論も可能であろう。それは生体の挙動なり機能として、生と死をどう定義し、そしてその定義を僕ら自身がどう理解したり評価するかによって変わる可能性がある。この議論においては、どう考えても最終判断の基準は FPV なのだから、ローマ教皇が何を言おうと、あるいは東大教授が何を書いているとかそんなことはどうだっていいのである。ただ、僕は「生と死の違いは表面的である。なぜなら生きていようと死んでいようと魂は不滅であり云々」という茶飲み話や宗教的な気休めの御託には、どうしてもついていけないところがあるので、少しでもそういう方向へ落ち込むような立論となるなら、そういうまやかしや自己欺瞞がどこで生じるのかという、僕自身の思考にありうるリスクとか欠陥を究明しなくてはいけないと感じる。死んだら全てが消失するに決まってるだろう。寝言を人前で晒すないう話だ。