Scribble at 2025-03-16 21:33:10 Last modified: 2025-03-16 21:43:50

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Mandelbrot.site

この手の「フラクタルお絵かき」のサイトって昔からあって、何年おきかで新しいサイトが出てくるんだけど、要するに学生の演習課題というか、技術力のプレゼンという意味しか無くて、学術的な効用はゼロだと思ってるんだよね。他にも、ライフ・ゲームのシミュレーターとか色々と似たようなサイトはあるけど、そういうサイトの運営者がテレンス・タオみたいな業績を上げた実例なんて皆無なんだよ。なので、学者としてはもちろんだけど、僕らのようなエンジニアですら、こういうサイトは全くの無意味なんだよな。

たとえば、小学生のガキがこういうサイトを作ったとしても、そのガキがガウス並の天才だって保証なんかないわけで、せいぜい日本とか呼ばれている文化的後進国の出版業者が芸能人や文化芸人のコメントを帯に印刷して本をばらまくのが関の山だ。そんなことばっかやってるから、知性や学術において下方圧力ばかり強くなって、無能でもいい、平凡でもいいってなガキばかり増えて、セカイで一つだけの花なんていう自己承認欲求の塊みたいなのが学者になっていく。

もちろん、僕は「防衛的」なパレートの法則にコミットしているので、そういう状況でも2割くらいはまともな若者がいると思うからこそ、こういうサイトを続けている。全く期待できないなら、誰が残りすくない人生を使って、凡庸で無能な欠陥民族なんかのために、文句を書いたり情報を公開したり批評を投稿したりするものか。ましてやまともな科学哲学の教科書をわざわざ作るなんて、たとえ自己満足のためだとしても、哲学者として必ず避けなくてはならない、自分の人生の浪費つまりは自己欺瞞という愚行でしかあるまい。サイトなんてさっさと閉じて、自分だけの勉強のために読書したり、家族と旅行したり美術館へ行く方がマシというものだ。なので、僕は殆ど根拠はないが期待や希望はもっている。もちろん、そういう人たちがこのサイトや僕の書いたものをどう評価するかは知らない。否定的に捉えてもいいのだ。でも、僕は馬鹿や無能や凡人に(たとえ称賛されようと)評価されるのはゴメンだし、そんな連中の評価なんて知ったことではない。僕はプロの研究者でもなければ大学教員でも物書きでもないので、そういう連中を無視しても僕には学術コミュニティでのリスクなんてなんにもないからだ。

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