Scribble at 2025-03-15 19:06:32 Last modified: 2025-03-15 19:20:35

ダグラス・アダムズの信奉者には気の毒なことだが、僕は『宇宙ヒッチハイク・ガイド』を読んで、ぜんぜん面白くなかったという印象がある。まさしく1970年代くらいの宇宙旅行をネタにした、出来の悪いテレビ・ドラマの脚本を元にした小説版といった感じで、ピンク・パンサーだのなんとか兄弟だの、イギリスやアメリカの50年くらい前のショウ・ビジネスや喜劇や映画を懐かしく、そして何か「知的インパクト」の源泉であったかのように評価する人々というのが、いまいち理解できないし、そもそもそういう懐古趣味を語る連中の大半は思想家としても学者としても何の巨大な業績も上げていない、ただの通俗物書きや無能であることが多くて、信用できない。要するに、そういうものをいちいち時代の遺産として脚色しているだけの話であり、日本で言うところの『ALWAYS 三丁目の夕日』とか下町人情系ドラマみたいなものなのだろう。昔は良かったというわけだ。

こういう、愚劣な後ろ向きのマーケティングが世の中に与える悪影響を、メディア論やマスコミの研究者というのはどう扱っているのだろうか。確かに、話がたいていは映画や小説といったサブ・カルチャーの範囲で展開されるので、学者がいちいちこんなものの影響を調べたり批評するのは「ネタにマジレス」の無粋を感じるのかもしれない。でも、ガキや無学な人々というのはネタをネタとして理解し消化するリテラシーや背景知識に欠けているからこそ、陰謀論や新興宗教に陥り、「正義の X 庶民様」としてデタラメやヘイトを撒き散らしたり炎上に加わったりするわけである。社会科学者というのは、自分と同じような学者だけを相手にしていてはいけないし、だからといって通俗的なニーズだけでものを書いてもいけないわけで、基本的にケインズが経済学者について述べたように辻説法するようなところが必要であろう。

帯のメッセージによると、『宇宙ヒッチハイク・ガイド』はイーロン・マスクの人生を決定づけた一冊だったという。確かに、ベンチャー企業の経営なんて小説と同じくラッキーや偶然やたまたまの連続であろう。最初から、経営学なんていう三流学問の本を読んだり、マッキンゼーのコンサルに質問すればどうにかなるなんてことはありえない。ビジネス書にある、「経営のグル」などと言われる人々にしても、たいていは会社が大きくなってから相談しているわけであって、いわば銀行の頭取などが日曜日に近くの寺で坊主と将棋するようなものだ。つまり、既に答えをおおかた心中に抱いている人が、それを自己確認するための壁打ちテニスにすぎないのであって、この小説も当時のマスクの心境を正当化してくれる都合のいい道具だったのだろう。

簡単に言えば、無数に出版される「思想書」と哲学書の違いはそういうところにもある。そして、これはしっかり強調しておきたいが、僕が言っている「哲学書」というのは、超越論的どうのこうのとか、logical consequences がどうとか、ウィトゲンシュタインがどうのカントがどうのなどと書いてある本のことではない。それを読んでいる人が philosophize するような一節が書かれた書籍のことなので、出版物としての本の全体を一冊まるごと指しているわけでもない。

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