Scribble at 2025-02-02 10:54:37 Last modified: 2025-02-03 12:25:12

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このところアマゾンで頻繁に表示される広告なのだが、あんまり感心しないねぇ。映画にまでなった事例なのでご存知の方は多いと思うけれど、こんなのは珍しいからマスコミが取り上げたり本になったりするわけで、もともとヤンキーだろうとキャバ嬢だろうと「おりこうさん」というのはどういう業界にもいるんだよ。それこそヤクザにだって東大に入れるていどの「おりこうさん」はいるの。芸能界でも、よくアイドルの娘が「カントを読んでます」とか、あるいは工学の修士号を授与されたなんて話があるし、別にいちいち紹介するようなことではないけれど東大出身の俳優もいれば、長塚京三氏のようにパリ・シテ大学(むかしは「ソルボンヌ大学」と言った)を出ている人だっている。東大やハーヴァードに入ったというだけなら世界中に何万人もいるわけであって、そんなことをいちいち「成功」だの「事績」だのと言うことじたいが、国際的な感覚で言えばていどの低い文化的な後進国の発想だとしか言いようがない。

そして、こんなことは東大を出ていながら分析哲学や現象学のプロパーとしてクズみたいなことしかやっていない諸兄には耳の痛い話ではあろうと思うが、勉強の本来の目的や成果は、勉強の経験談を本にして売り歩くことではないんだよな。このお嬢さんが慶応に入ったのはいいとして、では慶応で何を専攻し、卒論では何を書いて、そしていま現在はどこでどういうことをして、どういう実績を上げたんだろうか。社会人なんて、その実績が全てなんであって、慶応や東大を出ていようと自分の経験談を語るしか能が無いっていうのではしょうがないんだよ、実際問題として。こういうお嬢さんの本を読んだ高校生が、たとえばみんな東大や慶応に入ったとして、それで世の中、いやそこまで言わなくても本人がどうなるというのだろう。いまどき、東大に合格したからといって、それだけで将来が約束されるなんてことはない。もちろん勉強はしたほうがいいし、やれるならやった方がいいとは思うけれど、やって何をするかが問われるのが大人というものなんじゃないの。これだけごほんをよみました、これだけ資格試験に合格しましたというだけで、世界が良くなったり、あるいは誰かの(本人のですら)生活が改善されるなんてことはないのだ。

とにかく、海外のハーヴァードでもパリ大学でも北京大学でもいいが、そういうところの出身者として動画を流したり本を書いたりする人の大半は、大学を出て何をしたかがポイントなんだよね。それに比べて、東アジアの辺境地帯にある日本とかいう風俗国家では、とにかく東大とか慶応を出た人間がやることって勉強の話ばっかなんだよな。しかも社会人になってからの勉強ならマシな方で、社会人になってすら延々と大学受験の話しかすることがないという人間ばかりだ。逆に言えば、東大卒の人間なんて大学受験でしか評価されていないという証拠じゃないかね。みんな実は、少なくとも東大とは言っても学卒なんて単なる物知りや計算高いだけの受験生物みたいなものだと分かってるんだろう。

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