Scribble at 2025-01-06 17:34:43 Last modified: 2025-01-07 11:36:13

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しかしチャットGPTに上の質問をすると、「大きすぎたのはおもちゃです」と正しく答える。この簡単な問題を解くのに50年もかかったのは、言語をめぐる思想の大転換が必要だったからだ。

チャットGPTはいかにして「フレーム問題」を解いたのか

こんな、主語がなんであるかを解析するだけで答えられるような問答で「フレーム問題を解いた」などと言ってること自体、経済評論家なるものが片手間にしか技術や数学を勉強していない証拠だと思うんだよね。でも、あらかじめ膨大な量のテンソルで定義されたセマンティックス上の距離を計算するだけでフレーム問題が解けるなんて言ってるコンピュータ・サイエンスの学生とかもいるから、まぁしょうがないと言えばしょうがない。

科学哲学のプロパーには蛇足もいいところだが、ひとまず議論を展開しておこう。フレーム問題が難しいとされる理由として、まず扱う事柄に関連があろうとなかろうと、出来事というものは複雑な構成要素なり影響関係に置かれて起きたり起きなかったりするわけである。それらの要素なり要因を MECE に列挙すること自体が困難だと言える。次に、フレーミングの基準がはっきりしない。関連があるとかないとか言いうる基準が一般論どころか個別の事例においても特定できるものではないという理由もある。要するに、フレーム問題の解決が難しいのは、そもそも「解決」がなんのことなのか明確ではないからだ。解決できたように見える事例を幾つか持ち出しても、そんなものは科学としての実証でも論証でもない。

更に、では何が「解決」なのかを決めるにあたって、どういう条件が満たされたら「解決」なのかと考えてみると、当たり前のことだがフレーム問題と同じ問題に陥ってしまうのだ。なぜなら、個々の事例であろうと一般論であろうと、何事かが「解決」であると見做せるための条件こそが、無関係な条件ではなく関係のある条件だけを列挙しなくてはいけないという理由で、フレーム問題と同じ根拠を要求されるからである。

すると、フレーム問題の難しさだとか、フレーム問題の難しさを解決しようとする定式化がフレーム問題と同じ制約に置かれるという難しさの理由は、どこにあると言えるだろうか。まず思いつくのは、フレーム問題がチューリング・テストと同じく観察や現象論でしか議論していないという点に理由が求められるだろう。ディープ・ラーニングの有効性を実は研究者も分かっていないという皮肉な状況は有名だが、しかし役に立つし有効であるという成果は出ている。それは、僕らが AI をまったく現象論だけで評価しているからだ。もちろん、それだけでも有益には違いないのだから、研究したり実装することには大きな効用がある。けれど、それはフレーム問題のような、実のところ研究者が本当に解決しようと思ってるのかどうかすら疑わしいテーマを「解決」することとは別の話ではないかという気がする。したがって、生半可な「理系アピール」の一環として学習理論にも造詣が深いかのようなパフォーマンスを上のようなブログ記事で殴り書きして騙せるのは都内の IT ブルーカラーや文化的な意味での田舎者だけであって、プロパーやわれわれは騙せないわけである。

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