Scribble at 2024-11-29 17:19:57 Last modified: 2024-11-29 17:26:20

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This paper argues that no instances of acquiring knowledge from works of literary fiction are instances of the way we ordinarily learn from the testimony of others. The paper argues that the fictional status of a work is a defeater for the justification of beliefs formed on the basis of statements within that work, which must itself be defeated for such beliefs based on fiction to amount to knowledge. This marks a fundamental difference with learning from testimony, since regardless of one's views on testimony and testimonial knowledge, the fact that your belief that p was based on someone's testimony that p is not in and of itself a defeater for your justification for believing that p.

Fiction as a defeater

僕は、The Philosophical Review という雑誌は良質な論文を読める確度が高いと思っていて、学部時代にヒュームを学んだときは、それこそ戦前の論文を幾つか利用させてもらったし、それ以外にも自分の研究テーマと関係があろうとなかろうと、one over many だとか、いわゆるストールネイカー仮説に関わるデイヴィッド・ルウィスの良く知られた論文だとか、バックグラウンドにおいて多くを負っている。でも、もちろんだが歩留まりというものはあって、たまに上記のような、こう言っては気の毒だが学部のレポート並としか言いようがない文章が掲載されたりする。

こんなもんについてわざわざ僕自身が梗概を述べたり論評する必要なんて感じないし、このサイトにアクセスしているていどの人なら原文で分かると思う。僕が指導教官なら、"So what?" の一言で終わりだろうね。

まぁ編集部には、こういう論文を続々と掲載するようなことがないよう、これからは頑張ってもらいたい。下方圧力というのは抵抗することが難しい。ひとたび凡人が無能を評価したり、無能が凡人を評価したり、あるいは凡人が凡人を、いや無能が無能を評価してしまう悪循環が始まると、組織を立て直すのは難しいものだ。実際、大企業でも実例が山程あるように、こういう悪循環は長期スパンで進行するので、気づきにくいがゆえに予防が難しいマネジメント施策の一つだ。それに、たいていの組織は予防できない。なぜなら一つの効果的な施策として「有能な人間が自分と同等あるいは自分よりも有能な人間を採用する」ことは、だいたいにおいて大きなコストがかかるからだ。そして、そういうコストは中小零細企業では殆ど負えない(もちろん給与などを高く設定する必要があるからだ)。

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