Scribble at 2024-11-25 18:20:48 Last modified: 2024-11-25 20:10:37
もともと中学生のころから8ビットのコンピュータを使い始めてからというもの、プログラミングには一定の関心を払ってきたし、もちろんいまのように職業的なエンジニアとしても四半世紀くらいのキャリアを続けてきた。でも、それを使って自主的に作り上げたものとしては、広告賞に入選したり、それなりの受注額の案件で使ったプログラムなども多々あって自負できるにせよ、それらは受託で開発したものが大半を占めていて、僕自身の生活とか趣味のために開発したものは非常に少ない。ここ最近では、いまこうして落書きと称する短い記事を書くために使っているオリジナルの CMS くらいであって、こんなものは初等的な段階で覚えたウェブ・アプリケーションの知識があれば、いまどき(有能な)中学生でも書けるはずだ。
かといって、自分なりに納得のゆく何か壮大なプロジェクトを構想したいわけでもないし、もちろんだが開発の経験や知識や技能で金儲けをする予定も(いまのところは)ない。Hacker News のようなサイトを眺めていても、もともとは新しいサービスを考案する参考にしようとアクセスし始めてから今年で16年になるのだが、ぜひとも微力ながら参加したいなと思うようなサービスとかプロジェクトは非常に少なく、やはり僕らが知っているようなオンライン・サービスとかアプリケーションのプロジェクトというものは、生存バイアスによってメディアが取り上げたり、それからこういうソーシャル・ブックマークで話題になっているのだなと実感する。要するに、欧米人が考案しているプロジェクトやサービスですら、その大半はガラクタやクズ、これが言い過ぎなら、金儲けや社会貢献どころか個人のオモチャとしてすらつまらないものばかりというわけである。
でも、他人の無能をあげつらっていても仕方ない。self-help(日本では「自己啓発」と言う)の鉄則として言われるように、他人なんて当てにしては行けない。自分自身が変わったり、自分自身で考え、そして自分自身で行動しない限り、他人を含めた世界の方が自分にわざわざ最適化してくれるなんてありえないのだ。もちろん、これもまたアメリカのリバタリアンが大好きな自己責任論の一種ではあるけれど、これは考えようによっては、他人や世の中が作り出している惰性や凡庸という流れに抗う一つの方法でもあろうから、必ずしも軽々に否定するものでもあるまい。僕がつねづね非難しているのは、これを他人に向かって要求するようなやつが多いからだ。人の自立、すなわち自己責任や自主性・自律性というものは、どういう観念であるにしても、それは己ただ一人において考えたり、実行したり、反省したり評価するべきことであって、他人に求めるものではない。
ということで、もちろんこれから起業するとか新しいサービスやプロジェクトを考案しようなどと言っているわけではないが、せっかく身につけた技能なり知識を、こういうサイトで解説を書くためだけに使うのもどうなんだろうと思う。ぶっちゃけで言えば、プログラミングなんて僕と同等以上の人間が携わればよいのであって、僕と同等以上の人間であれば、僕が当サイトでわざわざ解説なんて書かなくても、中学生にもなれば一人で辞書を片手に SICP くらい読み始めるだろうと思うんだよね。っていうか、それくらいの人材が続々と出てこなければ、逆に人類のさきゆきは暗いと言わざるをえない。
そして、これは僕が他のサイトで公言している科学哲学の教科書についても言えることだ。動機やきっかけさえあれば、はっきり言ってこれだけのチャンスなりリソースがオンラインにあるのだから、もういまどき大半の国々で生活している高校生くらいの知能や基礎知識や人としての経験をもつ人々に、哲学の教科書を読ませたり通俗的な解説を説く必要なんてないと思うんだよね。或る意味では、非常に皮肉なことだと思うけれど、"philosophy for everyone" なんていう理想を実現するための手立ては、ウェブのコンテンツと生成 AI(もちろん生成 AI はウェブのコンテンツをもとにトレーニングされている)が達成してしまっているとすら言えるだろう。あとは、哲学をする動機や目的やきっかけだけなのであって、それは逆に哲学でクリシンを必死に講じている教員とか、YouTube などで気楽に哲学を語ったり無数の通俗本を書いている文化芸人どもには、絶対にできないことなんだよ。なので、僕はそういう意味での introductory な教科書を書きたいと思っていて、そこをクリアした後にどうすればいいかを、実務としててほどきするような教科書を(皮肉ながら文化芸人共にはできないくらい)精密に書きたいと思っている。