Scribble at 2024-11-02 07:50:47 Last modified: 2024-11-02 11:07:29

何を読んだり考えていたときだったかは忘れたのだが、昨日は寝ながら思い当たったことを、早朝に起きて Google Keep に書き出しておいた。それを後から読み返してみると、だいたい次のような議論をしたいと思ったらしい。

稀に、誰かが80歳になって博士号を授与されたなんて話題が報道されることがあり、これは海外でも珍しい事例なので広く報じられることは分かる。でも、学術研究者であれば授与式で聞いたことがあると思うが、学位というものは学術研究にあたって必要最低限の能力を認められたという事実を示すものにすぎず、学位そのものは学術研究の成果ではないのだ。もちろん、学位論文もまた、それをベースにして公に著作物として刊行されることはあるにしても、本来は学位の認定に必要な「資料」であって、学会誌の編集で採用されているレフェリー制みたいに匿名で内容をレビューしているわけではないため、厳格に言えば学術研究においてソースとするべき文献ではない(もちろん、内容を独立に評価してソースとして参考にできると考えたら bibliography に掲載してもいいが、そういう事例が極めて少ないという事実が「制度的に」何を意味しているかは、プロパーならご承知のはずだ)。

したがって、80歳で博士号を授与されたのであろうと、そこから成果を上げていかなくては、学術研究者としては「ゼロ演算」をしているにすぎない。気の毒だが、学者としての事績は「ない」としか評価できないのである。学位は、もちろんこれもプロパーはご承知のはずだが、博士論文を書いて defense したご褒美などではない。博士論文を書き上げるまでにやった調査や考察で事足りるというなら、それはわざわざ大学院へ入学してやるようなことではないし、だいたいにおいて学位審査を請求するような類のことでもないのである。実際、博士論文の大半が学術的には「カス」としか言いようがない内容であることを、僕は相当な数の博士論文をサーベイしたことがあるので、知っている。そして、そういう経験があったうえで神戸大学では研究計画書を出していたのである。

放言を殴り書きしてるだけのジジイじゃねーんだよ、俺は。

[追記] そういや、他にも「80歳で博士号を授与された」みたいな話に関連して、文部官僚とかが大好きな「生涯学習」なんていう浅薄なスローガンについても批評しようと夢の中で思った記憶がある。そもそも、政府が主導してこんなことを国民に期待するなんて大きなお世話だ。どのみち自分たちに有利なことだけを学んでほしいに決まってるからだ。文部官僚にしてみれば、国民の大多数が国税や行政のサポートを受けて、それぞれの地域で『賃労働と資本』や『唯物論と経験批判論』の読書会をやることが理想だとは思っていまい。結局、行政あるいは文科省下請けの広告代理店の R&D なんかが煽る「生涯学習」なんていうヌルい施策は、社会科学的なセンスから言って問題外と言ってよい。単なる金持ち老人の暇潰しでしかなく、これからどんどん増える(そして僕らもそうだと思うが)貧しい高齢者にとっては関係のない話だ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


共有ボタンは廃止しました。