Scribble at 2024-10-29 10:36:53 Last modified: 2024-10-29 23:13:28
嘆かわしいことに、増補改訂版における誤りであるということは、初版(この版で上述の誤りに対応するのは134頁以降)以来30年近く(初版の刊行は1995年)、誰も気付かず、指摘がなかったということになる。門外漢の私でも気付けたことなのに。
いやぁ、再刊されてるのは知ってるけど、ぶっちゃけ『言語哲学大全』って読んでないなぁ。大学にいた頃も、先輩に読んでる人はいたけれど、法律学で言うところの「基本書」のような扱いではなかったしね。あと僕は野本和幸さんの『現代の論理的意味論 -フレーゲからクリプキまで』(岩波書店、1988)を読んでて、そちらのコンパクトな一冊だけで十分だと感じていた。実際、そういう人も多いだろうと思う。
ここではたびたび書いてることだけど、既に1990年代の頃に学生だった僕らですら、科学哲学の学生は「言語分析哲学」には、さほど興味がなかったし、必要だとも思ってなかったよ。科学哲学の学生でチョムスキーどころかウィトゲンシュタインすら読む人は珍しかった。なので、先輩の某氏が『論理哲学論考』を全て暗記してるなんていう逸話を森先生から聞いたときも、感心はしたけれど、哲学的に言って何の意味があるのかはまるで分からなかった。いまでもきみら東大暗記小僧の知識量には感嘆する思いがするんだけど、それで君らが書いたものの哲学的な価値が上がったり下がったりするなんてことは、はっきり言って僕の判断基準ではありえないんだよね。凄いと思うよ。数百桁の掛け算を数秒で終えるとか、英語の単語を20万くらい覚えてるとか。でも、それがなんなのっていう証明は、やはり学者なら業績でしょう。