Scribble at 2024-10-21 10:37:42 Last modified: 2024-10-21 13:29:04
僕がしょーもない喩え話や思考実験の大半を、端的に言って「バカ専用」とか無駄とか、あるいはそういうものが不要であるように記述や叙述を工夫するべきだと言っているのは、そういうアナロジーを許さないものごとがたくさんあると思うからだ。そして、その一つが「死」と呼ばれることである。
死を「終わり」だのなんのと表現しても意味はないし、そもそも FPV としての「意味」を為すとか為さないとか、そういう事態が消失するわけだから、これはまさに言語どころか認知不能なことがらであろう。たとえば、これを数直線上の開区間の端っこみたいなものとして想像してみたところで、それがいったい何だというのかという感想しかない。
そう考えると、ヒトの認知能力に忘却とか、あるいは注意力なり志向性に一定の限界があるというのは、気晴らしがどうのという以前に、こういうことを考えすぎて強迫観念に襲われないようにする工夫なり本能なのかもしれないが、それもまた結局はどうだっていいことだ。何にしても、死ぬまでのあいだ粛々と生きて生活し続ける他にない。