Scribble at 2024-09-23 16:28:02 Last modified: 2024-09-23 16:35:24
MD でも書いた話だが、このところ会社法のおさらいをやっている。あとどれほど生きられるかは分からないが、ひとまず昭和時代なら定年退職していたような年齢となり、まだこの先も働いて生活するという前提に立つと、企業人として会社という組織の要件やあるべき姿について見識をもっておくことは、おそらく死ぬまで偉そうなことを言い続けるであろうジジイの責任でもあろう。もちろん、15年ほど前に取締役を拝命したときも少しは勉強したし、いまでも企業経営について色々な本を読んだり実地で学んでいるところだが、やはり体系的な勉強も必要だ。
会社あるいは企業を理解したり論じるときに、僕らのような事実上のインハウスの哲学者が学んだり考慮するべき観点としては、大別すると三つある。一つめは、少なくとも我が国の制度として形式的な要件を求められる会社法という法令で定められた観点である。二つめに、ロナルド・コースらの業績によって少しずつ普及してきた Law and Economics という風変わりな名前の研究分野(日本語でも「法と経済学」という妙な名称が定着してる)や労働経済学によって、ミクロ経済学のアプローチを採り入れた観点である。そして三つめが経営学だ。もちろん、経営学でお馴染みの組織論やマネジメントといった議論だけではなく、グループ・ダイナミクスや社会心理学や産業社会学といった観点も含めている。したがって、このくにの経営学者のように、横のものを縦にするか、有名企業の経営者の評伝を書くか、夥しい数の結果論で学術誌や経済誌を埋め尽くすしか能が無い連中など歯牙にもかけない水準の見識が要求される。もちろん、哲学をやっているからといって、そういう見識を身につけられる保証など無いが、そういう見通しをもっているだけでもマシであろう。
これらの中で、学問としての積み上げがあって学び方にも定着した道筋があるのは、もちろん会社法である。形式的な要件の議論が多いので、解釈によっては判例なども調べる必要があるにしても、基本的な概念の理解の幅については是非が分かるようになっていて学びやすい。ただし、会社というものがどうあるべきかを現行法どころか実定法を超えて議論したり考察するとなると、他の国の制度や歴史も含めて広範な調査や研究が必要になるし、もちろん経済学や社会学や政治学なども含めた、殆ど「社会科学」のスケールでものを考える必要があろう。まさに、社会科学の哲学として一つの分野を立てるに値するようなテーマとなる。なので、ただいま進めているテキスト制作の一部に社会科学というテーマも入れる予定であるから、いまやっている勉強の成果も実務家としての素養を高めるという目的だけにとどまらず、そのテキストへ反映させたいという下心もある。
もちろん、学部生が教員にコメントされる典型とも言える「大風呂敷を広げすぎ」という印象は否めないが、正直なところコンパクトな著作ですぐれたものを読んだ試しが殆どないのだから、しょうがない。そもそも、初心者だから短い文章でいいなどというのは単なる偏見であろう。初心者は、まだ当該の学問分野の詳細を知らないか理解していないという disadvantage があるのみであって、長大な文章を読み解けないアホではないのだ。また、初心者の多くが学生や主婦や何かの作業員で、長い文章を見ると頭が痛くなる云々といった、「漫画的な凡人」であるかのように読者のペルソナを仮定する編集者も、僕は元出版業界にいた人間として無能だと思うね。そんなに労務員や主婦は、分厚い本を見せられると拒否反応を示すような人たちなのか。僕はそんな先入観は、漫画か小説の作り話だと思う。そもそも、そんな態度を示す人間が切実な事情で哲学を学ぼうと思うだろうか。二言三言で、それこそ大喜利みたいな調子で哲学を教えてくれなんて人間は、僕は相手しなくてもいいと思っている。出版・マスコミ業界の人々は、そういう連中も相手にしなくてはいけないから、そういう人間が読者だと思いこんでいるうちに、まともな哲学の初心者もそういう人たちだと妄想しているだけではないのか。