Scribble at 2024-09-18 08:41:13 Last modified: 2024-09-18 09:02:09
無駄なリソースに管理コストをかけたり注意を逸らされないように、活用していないリソースを削除したり削ぎ落としている。ただいま、もう何年も読んでいないメーリング・リストからさっさと退会していて、ここに掲載したメーリング・リストは(いわゆる "Liverpool list" を除いて)殆ど退会してある。もちろん、こんなことは老人だからやるべきなのではなく、もともと情報過多である現代においては、たぶん中学生ですら必要なことだろうと思う。
それゆえ、もし僕が「14歳の哲学」みたいな通俗的な本を書いたり、神戸大学時代の後輩である成瀬くんのようにアクティブ・ラーニングを活用して何か哲学系のイベントなどを開催するなら、それは自分たちより無知な素人や子供に哲学的思考を指南したり誘うという差別的なアプローチではなく、もともと小学生だろうと老人だろうと哲学する philosophizing 動機や事情がある人はやれるはずなのだというアプローチを採用するだろう。中学生だって是々非々で無断なリソースを無視して生活したり勉強するべきだ。もし彼らを真剣にサポートしたいというなら、そういうことを話題にするべきであって、中学生に(いや老人や誰に対してであろうと)いきなりプラトンの洞窟の比喩だの、完全義務と不完全義務だのと「業界用語」の解説をしたところでオタク話にしかならない。既にそれらを哲学的に言ってくだらない細部の議論まで知ってる、きみたち東大暗記小僧の方が圧倒的に有利なお喋りで終わるからだ。で、大出版社やマスコミあるいは大学が主催する、この手のイベントとか出版物というのは、僕に言わせれば子供向けのカルチャースクールや1980年代の新興宗教がやった茶話会みたいなものにすぎず、クソの役にも立たない。そして、彼らに「哲学に関わった・触れた」という錯覚や自己欺瞞を植え付けるという意味では、「文化犯罪的」なイベントや出版活動であるとすら思う。
ただ、昨今は哲学においても PC 的なスタンスが求められているため、口先だけなら「ダイバーシティ」だの「子供と大人という暴力装置」だのと言い始める人が増えている。したがって、表面的には「子供にも哲学はできる」的なリップ・サービスを掲げる著作物やイベントは多い。でも、僕はそういうものこそ、哲学プロパーによる自己欺瞞だと思っていて、実際には小学生の中国人や中学生のクルド人を(もし才能があれば)テメーの教務助手にしようなんて東大教授は一人としていない。口先だけなんだよ、きみたち偽の権威がやることは。この国でやれることと言えば、せいぜい量子力学の勉強ノートを久米宏の推薦文付きで出版した小学生を天才呼ばわりすることくらいだろう。その小学生って、別に調べるつもりもないけど、いまハーヴァードとかに入学して准教授とかになってるの? いや、そこまでいかなくても開成か灘高校とかに入ったのかな。