Scribble at 2024-09-18 07:14:46 Last modified: 2024-09-18 07:18:35
読了したら早々に古本業者へ手放した『エンド・オブ・ライフ』(集英社文庫、2024)だが、つい先日の報道で、著者の佐々涼子氏が約2年の闘病を経て脳腫瘍で亡くなったと知った。本書が初めて単行本として刊行されたのは2020年だから、それからわずか4年で著者自身が end of life を迎えたことになる。そういや、『エンド・オブ・ライフ』の中には、著者が自身を頭痛持ちだと書いているところがあったような気がする。僕は、風邪を引いても頭痛は起きないし、片頭痛持ちでもないから、頭痛というのは10年に1度の頻度ですら起きないので、頻繁に頭痛に悩まされる人は(もちろん生理痛としても起きるから女性に多いわけだが)本当に気の毒だと思う。
ただし、ここで言う "end" とは死亡時点だけを指しているわけではなく、そこへ至る経過のことだ。したがって、厳密には生物なんてみんな end of life を過ごしているとも言いうる。簡単に言えば、生まれたときから火葬場への順番待ちをしているにすぎないと言って良い。だが、そういう見識を得たとしても、そこからどう考えるかは人によって異なるし、どうあるべきかを人は考えたり実行に移してきた。その典型が、宗教だと僕は思う。あらゆる宗教は terror management で導かれた集団催眠や自己催眠のシステムであり、荘厳な建築物、難解な教義の体系、美しい絵画や音楽、厳しい戒律といった全ての仕組みは、要するに「(他人はともかく自分が)死ぬのは怖い」という強迫観念を消し飛ばす妄想を生み出すために練り上げられた、制度や文化という名の錯覚にすぎない。