Scribble at 2024-09-09 11:29:39 Last modified: 2024-09-09 16:19:58
珍しく Hacker News で "hard problem" が取り上げられているのを見たが、リンクされているのはパサデナ市の大学で教えている人物のブログ記事で、つまるところ「意識のハード・プロブレムは擬似問題にすぎない」という、よくある話だ。もちろん、僕も mind-body problem からして擬似問題だと思っているから、結論としては彼と同じである。けれど、だからといって無視していい話題ではない。経済や法律や政治に関わる話題と同じく、とりわけ凡人というものは何度でも同じ過ちを繰り返すわけで、片手に iPhone を持っていようと石斧を持っていようと頭の中は(認知能力としては)殆ど同じである。したがって、これが擬似問題だとしても、それを(哲学のプロパーですら)端的に無視するだけで知的なリスクを回避できるというものではないのである。
簡単に言えば、脳の物理的な事象と僕らが自分自身で感じていることとのギャップというものは、単に原因は原因であり、結果は結果であるという話でしかない。ギャップもなにも、違うことがらなのだ。また、脳で起きる事象とクオリアの認知が「同時」だとしても、それは脳で起きた事象の記述とクオリアという(これもしょせんは)事象の記述がフレーム・ワークとして異なる参照系にあるというだけのことだ。和紙に筆で文字を書いたとして、墨についての分析と、構図についての分析とか異なる参照系にあるのと変わらない。これをもっと規格化して supervenience として語ろうとどうしようと構わないが、異なる参照系の話が端的に「違う」ということだけをもってしてハードだと言われても、僕にはどうしようもない。和紙に書いた文字について、墨の組成分析と文字の構図についての分析がどうして「違う」のかと尋ねられているようなものだからだ。