Scribble at 2024-08-10 20:39:09 Last modified: 2024-08-12 10:53:42
僕は、仕事の真面目な話をすると、インハウスの哲学者として社内では情報システムや個人情報保護あるいは情報セキュリティという分野の他にも、バック・オフィスの部長として、与信管理とか財務の話についても研修の動画を配信したり、company-wide session として決算会議の話題に経済などを取り上げたりする。もちろん、僕は経済の専門家でもなければ、このところテキストも出版された「経済学の哲学」のプロパーでもない(約30年前に、経済学方法論と呼ばれていた未熟なレベルの概論を読んで、「最先端の論理実証主義」を応用すると高らかに宣言していた連中に辟易させられたことはある)。だが、平凡なサラリーマンというものに必要なのは、僕らが読んでいるようなブランシャールのミクロ経済学のテキストに書かれている経済理論じゃなくて、もっと実務に切実な接点があると分かるような、経済の仕組みである。
たとえば、大昔からの典型的な話を取り上げよう。政府の財政が苦しくなってきたら、多くの左翼は金持ちや大企業に増税しろと合唱し始める。しかし、こういう政策はマクロ経済学の学位なんてもっていなくても、「経済」を知っていれば妄想だとすぐに分かる。まず第一に、金持ちや大企業は立法や行政に太いパイプがあるため、そういう政策を抑制するような現実の力がある。次に、仮に政策を採用しても抜け穴が用意されていて、金持ちお抱えのファイナンシャル・プランナーや会計士が幾らでも(大金のギャラと引き換えに)節税や脱税を遂行してくれる。そして最後に重要なのが、たとえ金持ちや大企業の税率を引き上げても、彼らはいとも簡単に税負担を下請けや顧客に転嫁できてしまうのだ。
特に最後のポイントは、いま現に NHK が新橋あたりの上場企業や大規模な労働組合だけに話を聞いて、「賃金が上昇している」などと寝言をアナウンサーに連呼させていることでも明白な実例となっている。現実には、上場企業でベア・アップだのボーナス増額だのは下請けの発注金額を減額してまかなっていることが多い。それから細かい事例を追加するなら、インボイス制度で登録事業者になっていない個人事業主の消費税分を下請けに発注する値引きとして転嫁したり、ワーク・ライフ・バランス改善と称して自分たちの仕事を全て下請けに「チーム」だの「プロジェクト」だの「協力体制」だのと称して押し付けたり、それから酷い場合は下請けで採用させた障害者を自社の社員としてカウントしていたりする(企業には一定の比率で障害者を雇用する義務がある)。たいていの「ホワイト企業」というものは、こういうイカサマをやっている。他にも、外国人を積極的に雇用しているとか、管理職に女性が何割だとか、その手の左翼的というかリベラルというか、要するに善人ぶった連中の機嫌をそこねないよう、色々なインチキをやっている。
そして、こういう対比は科学哲学についても同じことが当てはまる。つまり、そもそも科学とは何であるかをロクに理解もしておらず考えてもいない、いやそれどころか興味すら無いような学部の1年生に向かって、scientific explanation だの confirmation theory だの theoretical terms and Ramsification だの objective vs. subjective probability だのと言ってみたところで、それは営業マンにブラック=ショールズ方程式の池上彰的な説明をしてみせるようなものだ。営業の人材がまず学ぶべきことは、書店で「組織の経済学」とか「人事の経済学」とか「企業の経済学」などというタイトルで実務の観点から書かれた経済の仕組みというものであろう。そして、それはもちろん経済理論ではなく経済の仕組みだからといって、それだけの理由で分かりやすいとは限らないし、それだけの理由で本の表紙にパパ活女子高生や幼女が描かれているわけでもない。そして同じく、科学哲学(というよりも哲学)が現実に向かい合っている状況とか話題などを説明するからといって、元ゲーム作家が書かなくてもいいし、元SEしか書けないわけでもなく、飲茶だのウーロン茶だの、それから何の業績があるかもわからないのにアフリカ哲学の通俗本をいきなり出すような「情報処理屋」が書かなくてもいいわけである。もちろんだが、そういう実務に見識があるとか関心があるというだけで、僕らのようなアマチュアだの「独立研究者」こそ適任であるなどという妄想とか逆差別とか自意識は、やはり慎むべきものであろう。なので、僕こそがそういう文章を書ける適任者であるなどとは思っていない。ただ、そういうことをする人がいないので、できそうな人間として僕がやることにしたというだけでしかない。文句があるなら、プロパーはさっさと成果を出して、われわれのようなアマチュアの余技なり児戯など吹き飛ばすのが望ましいし、僕もそういうことを日本の(もちろん僕よりも有能なはずの)科学哲学のプロパーには期待したいわけである。
称賛するよ、もちろん。実績を出せばの話だけど。