Scribble at 2024-08-09 09:52:09 Last modified: unmodified
マグにチュード9という東北の震災で発生した地震のエネルギーが、いかに凄まじい量であったかという実感は、もちろん間接的に僕も分かっている。あのとき、つまり2011年3月11日の14時46分に、僕は堂島アヴァンザの2階にあるジュンク堂大阪本店で講談社文庫の棚を前にして、確か中西 進氏が評釈した『万葉集』を眺めていた。いきなり床が動き出して、瀬戸内海の離島へ渡るときに何度か乗ったことがある小さな船に乗っているかのような気分の悪さを感じた。もちろん、その場で暫くしゃがみこんでいた。周りにいた他の客も大きく動揺して、口々に何かブツブツと感想を言っていた気がするけれど、何を言っていたかは覚えていない。すぐに会社へ連絡すると、棚から書類が落ちたていどで大きな支障はないらしい。そして、そのうち揺れは収まったので、ひとまずジュンク堂を出て会社に戻り(当時は旧電通ビルの北にあったので、堂島アヴァンザからはまっすぐ西へ行くだけだった)、特に被害がないことを確認し、それからようやく(サラリーマンとしては仕方のない順序の行動だったのだが)自宅に電話して愛する連れ合いの様子を確かめたわけである。ああ、その後に実家へも電話したかな。
後から思い返すと、あのとき書店にいたのだが、本棚から本が落ちてくる様子は見かけなかった。恐らくは揺れた方向が垂直だったからなのだろう。なので、平行に本が並んでいる棚のある場所では本が落ちていたのかもしれないが、会社に戻ってもさほど書類や備品が倒れたり落ちたという報告を受けていない。地震が東北で起きたと知ってからは、それどころではなく東京の支社にいる人員の様子を確認する方が重要だったと言える。実際、東京では横浜方面に住んでいるような社員は自宅に戻れず、会社で泊まった人もいた。なんにしても更に西へ500kmも離れた大阪であれほど揺れたのだから、東京、そして東北ではどうであったか、想像に余りある。
それから、更に記憶を遡ると、もちろん僕は阪神淡路の震災も大阪で経験している。正確な日時は1995年1月17日の5時46分、早朝である。もちろん僕は寝ていて、確か小さな揺れから感じ始めたので「あれっ?」と思って目を覚ますと、すぐに大きな揺れが起きた。当時の僕は、いま父親が一人で住んでいる実家の二階に住んでいたのだが、即座にやったことと言えば、逃げ出すことではなくて NHK のニューズ番組を観ることだった。地震が起きたのは神戸だと知って驚いたのだが、それを知った後はすぐに家の外へ出て、現在ではみんな亡くなってしまった、近所のおじさんやおばさんと立ち話していたことを覚えている。そして、そのときに実家は瓦が崩れ落ちたり屋根裏の一部が壊れて雨漏りするようになったため、区役所から(補助金ではなく)お金を100万円ほど借りて修繕したのであった。
神戸大のドクターとなって森(匡史)先生から当時の話を何度か聞いたことがあり、神戸大でも何人かの学生が亡くなったという。森先生にしても、震災から後は暫くのあいだ、大学へ通うのに大阪方面から鉄道が全ての路線で六甲や六甲道まで行けなくなっていたため、岡本あたりで降りてから大学まで歩いていたと聞いた。そして僕自身の経験から言っても、僕が神戸大に進学したのは1998年だが、特に山側を走る阪急電車で通学する途中に海側へ広がる景色を眺めると、阪神淡路の震災から3年が経っていても屋根にブルー・シートを被せている建物が数多く認められた。