Scribble at 2024-08-06 22:56:04 Last modified: 2024-08-07 16:22:58
ロザリンド・フランクリンと言えば、DNA の構造を決定した影の立役者でありながら、あの忌々しいイギリスの野郎どもに黙殺されたという悲劇の女性として知られている。そのフランクリンについて Philosophy of Science に論説が掲載されているらしく、JSTOR のブログが紹介しているらしい。でも、もちろんあの JSTOR であるから強力な paywall を越える莫大な購読料金が必要であり、それゆえ記事を紹介しているソーシャル・ブックマークでは、当然のように SciHub のリンクが紹介されていたりする。もちろん、オープンでない論文を誰でもアクセスできるウェブ・ページや PDF として公表することはできないだろう。ビジネスあるいは法的に言えば、それはまことに正当なことである。
そして、そういうクローズドなリソースばかりでは「発展性がない」という左翼系の open science を標榜している人々の言い分には、実は殆ど根拠がない。ただの希望的観測にすぎないのである。いまでこそ、機械学習では arXiv のプレ・プリントだけで十分だと言い放つ人もいるが、現実にはそんなことはない。あそこで自由に読める論説だけでは、せいぜい海外でも卒論ていどしか書けないだろう。僕らは、プレ・プリント・サーバに掲載されているていどの分量で応用したり、理屈の一部を理解するために役立てることはできるわけだが、それだけでは単なる「くれくれ君」にすぎない。真の学術的な最先端の成果を出すには、やはり原理原則を学び、そして数多くの(クローズドであるかどうかに関係なく)論文や著作を読む必要がある。それなしに無から有を生み出すような思考ができるなんていうのは、ただの思い上がりにすぎない。
しかし、そうは言っても人には経済的にも限界というものがある。大学に籍を置いているわけでもない、僕らのようなアマチュアが自在に Philosophy of Science の論説を読むためにオンライン・アクセスの権利を subscribe するには、リタイアした研究者や学生だと $27 などとなっているが、これは現役だと年収に応じて金額が変わるので、よくわからないが $50 とすると、いまのレートで7,200円ということになる。これだけなら The Atlantic のような一般雑誌を購読するのと変わらない値段だから、単独の契約としては許容範囲だろう。でも、学術研究に投資するにあたって、ジャーナルを一つだけ契約して読むなどということで、それが学術研究の実務として妥当または標準的だと言えるわけもない。科学哲学のような分野でも、おそらく10以上のジャーナルを購読する必要があろうし、もちろん必要に応じて他のジャーナルの論文を1本ずつ「購入」して読む必要がある。仮に、僕が修士論文で利用した著作物を改めて購入したりオンラインで読むために1本ずつ論文を購入するとしたら(僕の修士論文は、当サイトで公開している、取り下げた方の論説よりも数多くの著作物を使っている)、たぶん数十万円はかかる。
そしてもちろん、そうだからといって SciHub のような違法行為を「積極的に」支持すると言いたいわけではない。だが、これももちろん、MD でアーロン・スワーツの文章を訳出していることでお分かりかと思うが、SciHub や z-library のようなものが出てくるのは当然だろうと思う。実際、読むお金がないのだから、知識としても学問としても、スタート地点からして全く違うところに設定されているわけであって、しかも日本のような国でなら挽回もできようが、アフリカや中央アジアなどでは挽回もくそもないであろう。インターネット回線すら安定して利用できず、回線の利用料金が親の年収の何倍なんて国でオンライン・アクセスの subscription もクソもないであろう。